時代は変わった。以前は物議を醸しても、「野球で報いる」と言えば応援してくれたが、今は違う。特に2018年ジャカルタ・アジア大会では選手選抜をめぐって議論が勃発し、金メダルを獲得したにもかかわらず、韓国野球委員会(KBO)総裁と代表監督が国政監査に出席する屈辱を味わった。さまざまな意味で象徴的な事件だ。
アン・ウジンの場合、韓国プロ野球での生活には問題がない。チュ・シンスの言うように処罰設け、出場停止処分も消化した。ただ、アマチュアだった学生時代にいじめ問題を起こしたことで、韓国代表に選ばれない立場にいる。韓国野球ソフトボール協会(WBSC)や大韓体育会と無関係なWBCではあるが、結局同じ線になる。
今回のWBCで韓国代表を率いるイ・ガンチョル監督も、技術委員会も、アン・ウジン招集をめぐって苦心したのは事実だ。決して「最初から選ばない」と決めつけていたわけではない。
「野球さえ上手くやれば何をしても許される」というイメージを学生アスリート、退いては国民に認識させるのであれば、むしろマイナスだ。
改めて強調するが、時代が変わった。何より、まだ被害者全員から許しを完全に受けていない状態だ。許しは“野球界”がするのではなく、“被害者”がすることだ。
チュ・シンスは確かに米メジャーリーグで大きな業績を残した。大物選手らしく、KBO参戦以降も歯に衣着せぬ発言で自身の考えを躊躇なく明らかにしてきた。実際、チュ・シンスの一言で、老朽化が進んでいたSSGの本拠地・蚕室(チャムシル)球場は一部施設がリモデリングされた。
ベテランの踏み込んだ発言は必要なときもある。チュ・シンスは同時に数多くの寄付を行い、その善意を評価されてきた。
ただ、今回ばかりは残念に感じる。選手たちはWBCを控えて懸命に体作りを進めている。チュ・シンスも応援してくれても良いところを、あえて言わなくても良い苦言を呈したわけだ。
ある人は「典型的なアメリカ式思考」という。そうかもしれないが、アメリカのスタイルが全世界の「唯一の基準」にはならない。
無数の野球関係者が言いたくても言えなかったことを、チュ・シンスが代わりに伝えたのかもしれない。しかし、それまで特にこれといった話がなかったのであれば、それも理由があるからと考えるべきではないだろうか。
ベテランによる指摘は確かに必要だが、しなければならない時もあれば、そうでない時もある。
(構成=ピッチコミュニケーションズ)
Copyright @ 2018 Sportsseoul JAPAN All rights reserved.