かつて京都サンガF.C.、FC岐阜、ザスパクサツ群馬に在籍し、2021シーズンは韓国Kリーグ2(2部)の安山(アンサン)グリナースでプレーした磐瀬剛。
【前編】「監督はプレースタイルを知らなかった」磐瀬が振り返る2021年
初めての海外挑戦となった韓国では言葉の壁、サッカースタイルの違いに直面しながらも、終わってみればシーズン通して多くの出場機会を獲得。最終節ではその節のベストイレブンに選出されるなど、充実した1年を過ごすことができた。
ただ、シーズンを終えて日本に帰国している磐瀬に、オンラインでの単独インタビューで韓国現地で過ごした日常生活を聞くと、「僕の一日のスケジュールを聞いても面白くないと思います」という答えが返ってきた。それでも詳しく尋ねると、磐瀬は淡々と話してくれた。
「練習が午後4時開始だとすると、午前9時前に起きて、お昼ぐらいまで勉強。それからご飯を食べて、少し昼寝して、練習に行って、夜ご飯を食べて、家に帰ってまた2時間ぐらい勉強して寝るっていう、すごく面白くないサイクルです」
安山加入が決まって韓国入国後の隔離期間も「一日5~6時間は韓国語の勉強をしていた」磐瀬。普段の練習日だけでなく、オフの日も勉強に3~4時間を費やしていたという。
「韓国では一着も服を買いませんでしたが、“ちゃんと勉強を頑張ろう”って意味でマックブックは買いました。勉強はやっていて面白かったので、続けて良かったと思っています。もし勉強もしてなければ、やることがないので本当につまらなかったと思います」
チームのホームタウンである安山市は、首都ソウルを取り囲むように位置する京畿道(キョンギド)の西部に位置する市。ソウルにも電車1本、1時間程度で行けるため、いわばベッドタウンのような地域だ。
「生活にまったく不便はなかったです。日本で例えると、僕の出身地付近なら船橋や柏辺りのイメージ。安山中央駅という駅の周辺に色々な店が固まっていて、夜は若い人たちで賑わっていました。それと、現地の人を見て一番思ったのは“めちゃくちゃコーヒー飲むな”ってこと。特に、昼間の街中だと基本的にコーヒー片手に同僚と歩いている人ばかりでした」
では、韓国での食生活はどうだったのだろうか。
「チームでよくレストランに行きましたが、鍋が多かったですね。毎回汗だくになるような鍋ばかりで、とにかく辛かったです。最初、大丈夫だろって思って食べたらお腹が痛くなるぐらいに辛くて。でも、ほかの韓国人選手は辛くないって言いながら普通に食べていて、まったく汗もかいていなかったので不思議に思っていました」
もっとも、シーズンを終えても辛い料理はまだ苦手なようで、好きな韓国料理は「一番がキムパプ(韓国のり巻き)と韓国のりで、チキンも美味しかった。それに、コンビニに売っているバナナ牛乳やチョコ牛乳も好きでした」と辛くないものを挙げていた。
チームメイトとの交流を聞くと、2019年に鹿児島ユナイテッドFCに在籍し、今シーズンの安山のキャプテンを務めたヨン・ジェミンには何度か食事に連れて行ってもらったという。そのほか、夏に加入した元大分トリニータのムン・キョンゴンは同じ1995年生まれで最も日本語が喋れたこともあり、すぐに仲を深められたと磐瀬は明かす。
また、なかにはいずれ日本でプレーしたいと話していた選手もいたようだ。
磐瀬が名前を挙げた一人はセンターバックのキム・ミノ。Kリーグの名門・水原三星(スウォン・サムスン)ブルーウィングスのユース出身で、2017年にはU-20ワールドカップに出場した韓国のメンバーにも選ばれた経験がある。
「元々備えている対人能力や空中戦が良い選手。あとは日本で必要とされるビルドアップを練習すればもっと良くなる」と磐瀬もポテンシャルを評価しているだけに、いずれ日本でのプレーを見てみたいところである。
今季はKリーグ2で多くの日本人選手がプレーした1年だった。2019年から韓国で活躍する石田雅俊(大田ハナシチズン)のほか、磐瀬以外では田村亮介(FC安養)、室伏航(富川FC 1995)が初参戦。夏には元日本代表の小林祐希(ソウルイーランドFC)も来韓したことが日本で話題となった。
なかでも磐瀬、石田、室伏の3人は市立船橋高校の同学年。田村は磐瀬、石田と京都に同期入団した仲と、奇遇にも同世代の選手が韓国の地に集まった。「珍しいこともあるなと思いました。よくご飯に行って話しましたよ。航とは車で1時間ぐらいの距離だったので、よく安山に来てくれました。タム(田村)とは2~3回ぐらいかな。マサ(石田)とはソウルで会ったりしました」と磐瀬は振り返る。
そんな偶然の再会もあった今シーズンは石田が多くの話題をさらった。開幕前に1部の江原FCに加入するも夏に大田へレンタル移籍し、後半戦13試合で9ゴール1アシストと大車輪の活躍を見せ、2部の年間ベストイレブンにも選出された。
特には石田の“発言”が大きな反響を呼んだ。去る10月、当時のリーグ戦でプロ初のハットトリックを達成した石田は、試合後のヒーローインタビューで自らの韓国語で「これまでのサッカー人生を振り返ると、自分は敗者だと思っています。それでも、こうして人生を変えられる試合がいくつもあります」と、多少たどたどしくも力強い言葉を伝えた。
これがサッカー界を超え韓国国内で話題となり、インタビュー映像は100万回再生を突破した。石田を高校時代から知る磐瀬も、そのインタビューを映像で見たという。
「最初は(韓国語で)何を言っているのかわからず、翻訳を読んで理解できました。友達だからですけど、またふざけたこと言ってんなって思いましたよ(笑)。でも、(石田を)まったく知らない人からすれば、彼がものすごい感性の持ち主なんだなって思いますよね。ヒーローインタビューであんなこと言う人なんていませんし。でも、高校時代のマサを知っていれば想像はできます。あいつの向上心は昔からすごいですから。最近は特に(向上心が)強い気がしますよ」
来季の去就は現時点で未定という磐瀬。「代理人と話をする限りではおそらく韓国でプレーすると思いますが、安山に残るか、ほかのチームに行くかはまだわかりません」と、来季もひとまず韓国で過ごす予定ではあるが、いずれはアメリカや中東、北欧といったまた別の国でプレーしたいという。そこには「サッカーを通じていろんな国に行き、色んな文化の人との触れ合いを経験したい」思いがある。
「色んな国でサッカーができて、さまざまな環境や習慣、文化を学ぶことができるのは、選手というよりも一人の人間として成長するうえで大事なことだと思います。なので、日本から海外進出するにあたって韓国も選択肢に入ると思いますし、外す必要もない。韓国に限らず、チャンスがあればどの国であっても行ってみて良いと思います。やっぱり日本だと居心地が良いですし、言葉も通じて楽ですからね」
インタビューの最後に今後の目標を聞いてみた。すると、磐瀬が特に語ったのはサッカー以外の面だった。
「とにかく、色んな国に行ってプレーしたいというのが一番の目標であり、夢ですね。あとは歴史の勉強をしたくて、いつか大学に行きたいとも考えています。韓国に来てテレビも見られず、することがなくなって自分のなかで何がしたいのか考えたときに、“勉強をしよう”って思いついて。元々、“サッカー選手をやめても勉強はできる”と思っていたので。今はサッカー選手として活動できる時間があるので、サッカーをしながら勉強も続けることが一番だと思っています」
慣れ親しんだ日本を離れて海外に飛び込み、そこでの生活を通じて学びや気づきを得ている磐瀬。来季はピッチ内外でどんな成長を見せてくれるのか、今後の活躍に期待したい。
(文・取材=姜 亨起)
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