若手選手を高く評価する「ゴールデンボーイ」や「コパ・トロフィー」の最終候補に挙がるなど、欧州で認められているサッカー韓国代表といえばイ・ガンインだ。
イ・ガンインは2006年、当時5歳ながらバラエティ番組『飛べ、シュットリ」の3期メンバーとして活躍し、全国区のスターに浮上した。幼い年齢で大人でも難しい技術を披露しながら、多くの視聴者から愛された。
イ・ガンインの両親は息子の成長のために多くの指導者を探し回り、最後にたどり着いたのが仁川ユースアカデミー初代監督のチェ・ジンテ監督だった。
本紙『スポーツソウル』は、現在スポーツスタートアップ「スポイット」のテクニカルディレクターとして活動するチェ監督にインタビューし、イ・ガンインの子供時代について話を聞いた。
チェ監督は、2003年から指導者の生活の大部分を幼い選手たちの育成に使っている。彼が初めて見たイ・ガンインは、指導者生活をする現在でも最も優れた才能を持つ子供だったという。
チェ監督は「最初から天才性を持った子だった」とし、「当時インターネット上でしか見ることができなかったラボーナやフリップフラップなどを勝手にやっていた」と思い出した。
チェ監督は幼少教育で基本技と楽しさを第一に強調している。チェ監督は「5~7歳の時期にボールに触れた子供たちは、感覚が優れる。私の経験からすると、技術にも良い影響を与える」とし、「しかし楽しみながら運動するべきで、勝負に追われると子供を台無しにする」と警告した。
チェ監督が初めて見たイ・ガンインは、サッカーが上手い子ではあったが、基本技は足らなかった。テコンドー師範である父の影響で、イ・ガンインは砂袋を蹴るなど厳しく訓練していた。それでもイ・ガンインはサッカーを楽しむことを知っている子供だった。
チェ監督は「ガンインは当時のテレビ番組で試合だけプレーして、体系的な教育は受けられなかった。最初は私たちのチームのトレーニングについて来られなかった。だからガンインも“なんで?”と言いながら、意欲を持って基本技を学んだ」と話した。
当時イ・ガンインの人気で、仁川で開かれたアカデミーの授業は、子供たちでいっぱいだった。定員15人のところに、50人の子供が集まった。さらに授業が行われた小学校の運動場には、周辺住民がイ・ガンインを見るために集まってきた。
チェ監督は「練習が終わるたびに親が子供を連れて来て、入団できるかどうかを尋ねるために列を作った。多くの人がガンインを通じてサッカーと縁を結び、今も仁川ユナイテッドを応援している」と述べた。
イ・ガンインが現在の姿に成長する大きなきっかけは、自分ではないとチェ監督は謙遜する。
チェ監督は「ガンインのサッカーに影響を与えた人物はマラドーナだ。映像を見ると、左足でプレーする動きが同じだ。当時両親に聞いてみると“子供が机の上でマラドーナの映像を1~2時間見て、ボール持って真似た”と言っていた」と明かした。
「ガンインの頭のなかにマラドーナの姿が刻まれていて、サッカーはマラドーナのようにする必要があるという思いがあった。マラドーナが今のガンインに強い認識を与えた」
それでも才能を持つイ・ガンインに、サッカー選手として成功するための基本を教えたのは、チェ監督だろう。
彼は「個人的にガンインとの縁は、私にとって栄光の機会、記憶だ。今でもあの子が幸せにサッカーができるよう方向を示すことができたという部分で、胸がいっぱいだ。当時のガンインにサッカーへの好奇心、探求心を少しは与えられたかと思う」と話した。
そして「“サッカーは仲間が足らない部分を自分が助け、ガンインが足りない部分は仲間が助けてくれる”と言ったことが記憶に残っている」と笑った。
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