「韓国サッカーの未来」イ・ガンインの濃厚すぎる“サッカー人生”を振り返る

韓国は今、“イ・ガンイン中毒”だ。

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チャ・ボム、パク・チソン、ソン・フンミン。彼らに続く末っ子の登場に、韓国は熱狂している。

去る6月16日、イ・ガンインが所属したU-20韓国代表は、韓国サッカー史上初めてU-20ワールドカップ決勝に進出し、イ・ガンインは大会MVPといえる「ゴールデンボール」を受賞した。リオネル・メッシ以来となる、14年ぶりの最年少受賞だった。

上位0.1%のイ・ガンイン、伝説のはじまり

韓国が熱を上げる新しいスターの誕生だ。

この間、韓国やスペイン、ポーランドを行き来しながら休む暇もなく走ってきたイ・ガンインだが、その最初の所属チームはユースでも海外クラブでもない。バラエティ番組『飛べ、シュットリ』(KBS)の「FCシュットリ」だ。

12年前に放送された『飛べ、シュットリ』は、7歳以下のかわいい子供たちによるボール遊びに過ぎなかった。イ・ガンインが登場する前の話だ。

子供の成長ストーリーを込めたシーズン1、2とは異なり、2007年にKBS N SPORTSで放映された『飛べ、シュットリ』シーズン3は、見る楽しさと「本当のサッカー」を披露した。毎試合、圧倒的な競技力で勝利を収め、そのすべては主将イ・ガンインのつま先から始まった。

幼少期のイ・ガンイン(左)と、現在のイ・ガンイン(右)

満6歳だったイ・ガンインは当時、驚くほどの個人技やフィールドマナーで話題の中心になった。FCシュットリのユ・サンチョル監督とクロスバーチャレンジを行い、勝利したシーンは、12年が過ぎた現在でもたびたび登場する映像資料のひとつだ。

「大人を小さくしたと思えばいい」

「彼は17歳です。ハハハ」

満6歳のイ・ガンインのパスを見て、ユ・サンチョル監督は驚いたように述べた。「選手」と呼ぶにはあまりに幼い子供たちがボールを追いかけるなかで、イ・ガンインは鋭いスルーパスを見せてチームの勝利を導いた。

チームプレーだけでなく、個人技も別格だった。自分より3歳も年上4~5人を相手に、マルセイルーレット、シザースを披露して、楽々とゴールを決めた。『シュットリ』放送当時、イ・ガンインのプレーを見て、呆れたような笑みを作った相手チーム監督だけでも10人に上るだろう。

ユ・サンチョル監督もイ・ガンインの実力について絶えず賛辞を送った。『シュットリ』放送終了直後に行われたインタビューで、彼は「大人として見ればいい。大人を小さくしたように。私の年齢層でも難しい技術を持っている。そのまま全国ランキング1位と見ても大丈夫」と絶賛した。

『飛べ、シュットリ』でプレーするイ・ガンイン

放送終了後もイ・ガンインへの関心は続いた。

イ・ガンインは10歳の時、『英才の秘法リアルスタディ』に出演して体力テストを受けた。当時、体力テストを実施した竜仁大学キム・サンヒョン国際スポーツ研究員は、「イ・ガンインの体力はほとんど大学生レベルだ。専門教育と管理を受けている体育の逸材50人と比べても、上位0.1%に当たる体力だ」と評価した。実力だけでなく、肉体的にも同年代のトップクラスであることを証明したわけだ。

このように自分の才能をさまざまな方法で証明したイ・ガンインは、韓国内だけでなく海外クラブからも関心の対象とされた。ついに世界の舞台を踏む機会が来たのだ。

「100億円でも連れていけない」バレンシアが認めたイ・ガンインの左足

イ・ガンインの選択は、スペインだった。

2011年1月、彼は少年サッカー監督の紹介でスペインに渡り、多くのクラブで入団テストを受けた。その後、イ・ガンインに大きな関心を寄せたバレンシアから合格通知を受けて、2011年7月にバレンシアユースチームに入団することになる。

バレンシア入団が正式に知られると、誰もがイ・ガンインの歩みに注目した。そしてイ・ガンインは自分の評判を実力で堂々と証明した。

入団直後に開かれた「トレント大会」「マジョルカ国際サッカー大会」など出場してMVPに選ばれ、2013年には「BLUE BBVA」大会で得点王と同時に、ベスト7に名前を連ねた。バレンシアとしては、貴重な人材が転がってきたわけだ。

ピッチで躍動するイ・ガンインを他クラブが見逃すわけがなかった。

バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、バイエルン・ミュンヘンなど有名なビッグクラブがイ・ガンインにラブコールを送った。しかしバレンシアは、イ・ガンインの家族がスペインで使う生活費を全額支援すると約束し、2013年に再契約の締結に成功した。

イ・ガンインは、そんなクラブの信頼に応えた。2015年に出場した「roquetas de mar大会」ではバレンシアを優勝に導き、翌2016年にはバレンシア州の16歳代表チームに選ばれ、スペインの全国大会でバレンシアを準優勝に導いた。

(写真=バレンシア公式SNS)

華麗な少年時代を終えたイ・ガンインに対して、バレンシアは再び手を差し伸べた。満17歳でイ・ガンインは、バレンシアと2022年夏まで再契約を結んだ。

イ・ガンインはバレンシアCF・メスタージャに招集され、交代メンバーに名前を上げるなど、本格的なプロデビューに拍車をかけた。再契約直後に行われた国王杯準々決勝では、逆転勝利の主役となり、華やかなデビューを飾った。

そして2019年1月、イ・ガンインはバレンシアのトップチームに正式に名を連ねた。バイアウト価格は8000万ユーロ(約100億円)。簡単にいえば、複雑な交渉や条件なしにイ・ガンインを連れていくためには、100億円近いお金を支払わなければならないという意味だ。

1軍デビュー後は、イ・ガンインにも若干の暗黒期が訪れた。スタメンどころか、交代メンバーにも入れなかった。圧倒的な才能を持ってしてもベンチに入れないイ・ガンインを見ることになった韓国ファンだったが、待つ時間は少しだった。

イ・ガンインはU-20韓国代表チョン・ジョンヨン監督の要請を受けて、生涯初のワールドカップに出場するため、韓国行きの飛行機に乗った。「誰よりもガンインを求めた」。チョン・ジョンヨン監督は、イ・ガンインの代表招集を一言でまとめた。奇跡はこうして始まった。

「驚異的な天才の誕生」、優勝よりも輝いた

「僕たちも優勝することができる」

最年少18歳の決意だった。2019年5月、U-20韓国代表は「優勝」という漠然とした夢を抱いて、ポーランドに向かった。

5月25日には優勝候補ポルトガルとグループリーグ初戦を行い、0-1で惜しくも敗れた。しかし優勝候補アルゼンチンを2-1で撃破して決勝トーナメントに進出すると、宿命のライバル日本、パワー最強のセネガル、華やかなラテンサッカーを誇るエクアドルを次々と撃破して、決勝進出に成功した。

「どんな大会でも優勝したかった」。イ・ガンインは決勝直前、短いながらもはっきりとした抱負を語り、最後の舞台に立った。

先制ゴールを記録し、史上初のワールドカップ優勝も見えたが、ウクライナの猛攻を止めることができず、惜しくも準優勝に終わった。

大会期間中、イ・ガンインは2ゴール4アシストを記録し、チームの「エース」としての役割を十分に果たした。勝敗を離れて試合後は、すべてのフォーカスがイ・ガンインに向かった。

当時、現地のマスコミを含む世界各国のメディアは、イ・ガンインの華麗なプレーに「アジアで見つけることができなかった新しいサッカーを駆使するスター」と親指を立てた。MBCアン・ジョンファン解説委員をはじめとする韓国内サッカー関係者も、惜しみない賛辞を送った。

決勝戦で敗れたが、イ・ガンインは泣かなかった。むしろ涙を流した代表チームの先輩たちを慰め、抱きしめた。韓国人選手初の「ゴールデンボール」という栄光に浴したときも、すべてはチームのおかげと明るく笑った。

優勝よりも輝いた“ゴールデンボーイ”。18歳イ・ガンインのきらびやかなワールドカップは、こうして幕を閉じた。

(写真提供=韓国サッカー協会)U-20W杯でゴールデンボールに輝いたイ・ガンイン​​​

「韓国サッカーの未来」「バレンシアの有望株」「次世代のサッカースター」。プレッシャーともいえる多くのキャッチフレーズを、イ・ガンインは自らの左足で証明した。生涯初のワールドカップは惜しくも終わったが、“努力するサッカーの天才”イ・ガンインの夢舞台は、今から始まる。

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