大分トリニータの前身・大分トリニティで監督を務めたパク・ギョンファ(朴景和)さんが4月4日、死去した。83歳だった。
パク・ギョンファさんは1939年6月2日、日本統治下の日本統治下の黄海道(ファンヘド、現在の黄海北道)海州(ヘジュ)で生まれた。
解放後は越南して韓国に渡り、サッカー選手として培材(ペジェ)高校、延世(ヨンセ)大学、憲兵監室サッカー団、第一毛織サッカー団で活躍した。ポジションはFWだった。
優れた技量でユース代表に選ばれたパク・ギョンファさんは、1959年にマレーシアで開催された第1回アジアユースサッカー選手権大会に出場し、主力メンバーとして大会初優勝に大きく貢献した。
同大会の活躍が評価され、翌1960年にはソウルで開催された第2回アジアカップに出場するA代表に選出。ここでも優勝の喜びを味わった。
また、1962年にはジャカルタ・アジア大会に出場し、準優勝を経験した。
引退後は指導者の道に進み、1970年代前半にU-20代表、A代表のコーチを務めた。また、1990年に発足された女子サッカー韓国代表の初代監督を務め、同年の北京アジア大会にも出場した。
その後は建国(コングク)大学や培材高校などで監督を長年務めた。この間、1980年代には韓国テレビ番組のサッカー解説者としても活動。サッカー理論に精通したことから、技術書籍も数冊出版した。
また、1997年には大分トリニータの前身・大分トリニティの監督を務めた。
なお、1994年から2010年まで大分の技術顧問を務め、2021年3月に死去した故パク・ギョンホ(朴景浩)さんは実の兄である。
前へ
次へ