チームと自らの命運をかけて…Jリーグでも活躍した韓国サッカーのレジェンド、仁川監督就任の意味

Kリーグ22つのチームの中で唯一、正式監督が不在だったK1最下位の仁川(インチョン)ユナイテッドが、2002年ワールドカップ4強神話の主役であるユ・サンチョル監督を新たに指揮官として選任し、生存競争に乗り出す。ユ監督としても仁川はもちろん、自身の指導者としての命運もかけた航海に打って出る。

仁川は5月14日、ユ監督の選任を公式発表した。

クラブ側は「P級ライセンスを保有する複数の候補群を対象に選任作業を進めた結果、選手としてはもちろん、指導者としても豊富な経験を持つユ監督に指揮を任せることにした」と明らかにした。

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4月15日にノルウェー出身のヨルン・アンデルセン監督を成績不振で更迭した後、1カ月ぶりに新しい指揮官を迎え入れることになった。

仁川はアンデルセン監督と決別した後、イム・ジュンヨン首席コーチに監督代行を任せていた。しかし、イム監督代行はA級ライセンスを持っているだけで、仁川は60日以内に新監督を選ばなければならない状況だった。

クラブは生存競争に長けた専門家や地元出身の指導者などに絞って悩んだ末、ユ監督を指名して交渉を進めた。ユ監督は15日に選手団と顔合わせて練習を指揮するなど、監督業務を本格的に開始している。

ユ監督は韓国のサッカーファンたちには説明不要の元スター選手だ。

1998年ワールドカップのベルギー戦で同点ゴールを、2002年ワールドカップのポーランド戦でゴールを記録し、韓国サッカー史初のワールドカップ2大会連続得点記録者となった。

Aマッチ122試合に出場、18ゴール。特に2002年ワールドカップの際には4強神話の中枢的な役割を担当した。

プロでもKリーグの蔚山現代をはじめ、横浜F・マリノス、柏レイソルなどで12年間活躍した。MFだけではなく、センターバック、サイドバック、ストライカーなど、GKを除いたすべてのポジションを消化し、“元祖マルチプレーヤー”として有名だった。

監督ユ・サンチョルの苦難。仁川がラストチャンスとなるか

ただ、華麗な選手時代と違って、指導者になってからはまだ日の目を見ることができていない。

2011年から2012年まで指揮した大田(テジョン)シチズンを皮切りに2014~2017年には蔚山(ウルサン)大学、昨年は全南(チョンナム)ドラゴンズ監督を務めたが、成績不振で1年も経たずに全南を離れるなど、苦難を味わってきた。

一部では、ユ監督が大田や全南でクラブ首脳部からの全幅的な支持を受けることができず、成績不振は当たり前だったという評価もある。ただ過去に指揮官として大きく成功を収めていないユ監督の立場としても、仁川は監督として最後のチャンスになるかもしれない。

市民クラブの中では唯一、2部に降格したことがない仁川が今年も残留を成し遂げれば、ユ監督の指導力も高く評価されるだろう。

ただ、仁川は目下、1勝3分7敗(勝ち点6)の最下位だ。それも7試合連続無得点という“ゴール欠乏症状態”である。

ユ監督はクラブを通じて「早くチームの特性を把握し、情熱的なファンの期待に応えられるよう最善を尽くす」と明らかにした。

仁川もユ監督のリーダーシップと親和力に期待をかけている。イ・チョンス戦力強化室長とのシナジー効果も期待している。ユ監督とイ室長は現役時代に蔚山現代で同じ釜の飯を食べた仲であるし、2002年ワールドカップに出場するなど縁が深い。最近もゴルフ・バラエティ番組で共演して呼吸を合わせたことがある。

ユ監督は仁川監督に就任する前、大きな幸運をつかんで話題になった。

5月12日、仁川で開かれたプロアマ・ゴルフ大会の17番ホール(パー3)でホールインワンを達成したのだ。

生涯初のホールインワンを成し遂げたユ監督は「(ホールインワンを達成すれば)3年間は浪人したほうが良いらしいが、これからはどんな大当たりに巡り合えるのだろうか」と笑いながら、「指導者として役立てるチームを探したい」としたが、今になって思えばその発言は仁川就任の伏線だったかもしれない。

5月19日の大邱(テグ)FC戦で仁川の指揮官デビュー戦を行うユ・サンチョル監督。ホーム初試合は5月24日の尚州(サンジュ)尚武戦だ。

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