韓国プロサッカー連盟がKリーグ40周年を記念して今年から新設した「Kリーグ名誉の殿堂」が、ついに歴史的な第一歩を踏み出した。
5月2日、ソウル奨忠洞(チャンチュンドン)のアンバサダー・ソウル・プルマンのグランドボールルームでは、「Kリーグ名誉の殿堂入り」の殿堂入り式が行われた。
この日は、選手部門第1~4世代の初代殿堂入り者に選ばれた水原(スウォン)FCのチェ・スンホGM(ゼネラルマネージャー)、蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)のホン・ミョンボ監督、インドネシア代表のシン・テヨン監督、元韓国代表FWのイ・ドングッ氏らが出席した。
第2世代を代表して殿堂入りを果たしたホン・ミョンボ監督は、現役時代に“アジア最強のリベロ”と呼ばれ活躍した。
同氏は浦項(ポハン)製鉄アトムズ(現・浦項スティーラーズ)でプロデビューした1992年からリーグ優勝、年間ベストイレブン、シーズンMVPに輝き、Kリーグ通算156試合14ゴール8アシストを記録。
Kリーグ以外ではベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)や柏レイソルとJリーグでも活躍し、柏時代にはJリーグ史上初の外国籍キャプテンも経験。韓国代表ではワールドカップに4大会出場し、特にキャプテンとして戦った2002年日韓大会では韓国のベスト4進出に大きく貢献してブロンズボールを受賞した。
ホン・ミョンボ監督の殿堂入り推薦人として壇上に上がった大田(テジョン)ハナシチズンのホ・ジョンム理事長は、「私は(フランツ・)ベッケンバウアーが好きでしたが、韓国で最も似ていた選手がホン・ミョンボでした。DFとして卓越した技術と、ピッチ上でチームメイトをけん引する能力が優れていました」と絶賛を伝えた。
ホン・ミョンボ監督は「1983年に(Kリーグが)スーパーリーグとしてスタートした当時、私は東大門(トンデムン)運動場でボールボーイをしていました。試合を観て“自分もあの舞台でプレーしたい”という夢を育み、数年後に成し遂げました。今まで受賞した賞で最も意味のある賞です」と喜びを明かした。
ホン・ミョンボ監督以外では第1世代でチェ・スンホGM、第3世代でシン・テヨン監督、第4世代でイ・ドングッ氏が殿堂入りへの感謝と喜びを伝えていた。
「Kリーグ名誉の殿堂入り」指導者部門では、1989年に油公(ユゴン)コッキリ(現・済州ユナイテッド)、2005年に蔚山現代をKリーグ優勝に導き、韓国代表監督としても1986年メキシコW杯と1988年ソウル五輪でチームを指揮したキム・ジョンナム氏が選ばれた。
また、貢献者部門ではポスコのパク・テジュン名誉会長が選ばれた。
パク・テジュン名誉会長は1973年の浦項製鉄サッカー団(現・浦項スティーラーズ)創設と1990年の韓国初のサッカー専用球場である浦項スティールヤードの建設、1992年の光陽(クァンヤン)サッカー専用球場の建設と1994年の全南(チョンナム)ドラゴンズ創設、プロサッカー初のクラブハウス建設、ユースシステムの構築など、韓国サッカーの質的・量的成長に多大な貢献をした。
この日の殿堂入り式には、殿堂入り者とその家族だけでなく、サッカー元老やKリーグの40年に貢献してきた前・現職のKリーグ関係者が集い、昔の思い出を楽しみながらリーグの懸案に対する見解を交わし、式に意味を加えた。
「名誉の殿堂入り」の選定は「Kリーグ名誉の殿堂候補選定委員会」の審査を経て行われた。
選手部門は選定委員会が世代別に15人ずつ候補を推薦し、推薦を受けた候補を対象に選定委員会の自主投票(25%)、クラブ代表者及び監督投票(25%)、メディア投票(25%)、オンラインファン投票(25%)を経て4人の殿堂入り者が最終選定された。
今後も2年ごとに殿堂入り者を選定する予定だ。
なお、「Kリーグ名誉の殿堂候補選定委員会」の委員長を務めた『スポーツソウル』元編集局長のウィ・ウォンソク氏は、「Kリーグ名誉の殿堂が、40年を越えるリーグの誇らしい記録を記憶し続け、コンテンツ向上のための立派な契機になることを期待しています」と話していた。
(構成=ピッチコミュニケーションズ)
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