韓国のロッテ・ジャイアンツ、日本のオリックス・バファローズや福岡ソフトバンクホークスなどでプレーした元野球韓国代表のイ・デホ(李大浩)が、11月21日に放送される『オ・ウニョンの重宝相談所』(原題)で悩みを打ち明ける。
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イ・テホの悩みとは、「野球選手になりたがる息子、どう助言すればいいですか?」ということ。まだ小学1年生の息子が野球をやる時は、「痛くても我慢しろ」「弱い姿を見せたら野球をやらせない」など言って厳しい父親になるというのだ。
息子が楽しく野球をしてほしいと願いながらも、「痛くても我慢すべき、骨が折れても泣いて解決できるものではない」と、野球をする時だけは強くなければならないという立場を頑なに守る。
悩みを聞いたオ・ウニョン博士は、イ・デホがなぜそこまで強い姿にこだわるのかを深く探る。
同じチームの選手たちも怖がったほど強い姿を見せてきたが、「実は弱くて涙もろい」と打ち明けたイ・デホ。批判的な記事に泣いたり、「どれだけ頑張れば、どれだけ良い成績を出せば人々に分かってもらえるか」と1人で苦しんだりもしたと、現役時代の苦労を告白した。
彼は弱い姿を見せないため、大きな負傷をしても静かに試合に出場した過去を振り返る。肩が脱骨して腕が動かせなかった時も野球バットを持ったり、足首を折って全治4週間と診断されても鎮痛剤を飲みながら3日でギプスを外し出場したらしい。
また、「引退するまでチーム(韓国のロッテ・ジャイアンツ)に優勝を与えられず、ファンに申し訳ない」と気持ちを伝えた。
ただ、試合に負けた時のファンの過激な行動には傷ついたという。
ひどい時は豚足の骨を投げられたり、バスに火をつけられたり、食事中だったお店に石を投げられ、窓ガラスが割れたこともあったとか。そのため一時期は帽子をかぶってうつむいて歩き、「イ・デホでは?」と自分に気づく人々が怖かったと告白した。
話を聞いたオ・ウニョン博士は、イ・デホが他人をガッカリさせることを恐れると言い、そういう時の気持ちの引き締め方を尋ねる。すると「毎日自分に悪口を100回言った」とイ・デホ。引退後にも自分に対して鞭を打ち続けたという。
オ・ウニョン博士は「他人から聞いた時に最も傷つく言葉を、自ら言っている。他人を失望させることを恐れたり、期待に応えられず申し訳なさを感じると自分に鞭を打つのだ」と分析し、彼が期待に応えようとした人物は誰かと聞いた。
答えをじっくりと考えたイ・デホは、3歳の時に亡くなった父親と、一人で自分を育ててくれた祖母を挙げる。道端でおかずを売りながら生計を立て、指輪を質屋に預けてまで野球の支援をした祖母を見ながら、イ・デホは気を引き締めてきたそうだ。
しかし、祖母はイ・デホがプロデビューをする前の18歳に亡くなり、祖母に贅沢させるという夢をなくし、野球を諦めたことも告白した。
オ・ウニョン博士は「ありがたい人々の期待を裏切りたくない気持ちのせいで自己非難をしてまで耐えてきた。家族愛が強く、結婚に対する満足感が高く、妻を愛着の対象と考えている」とイ・デホのMMPI(多面的性格検査)結果を説明。それに同意したイ・デホは「妻は祖母が天から降ろしてくれた人」と告白し、収録現場を温かい雰囲気に包んだとのことだ。
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