映画『すずめの戸締まり』が韓国公開したなかで、新海誠監督が韓国で取材陣と会って映画に関する話を伝えた。
3月8日、ソウル聖水洞(ソンスドン)のメガボックスで新しい映画『すずめの戸締まり』の来韓記者懇談会が開かれ、新海誠監督と主人公の声を演じた女優の原菜乃華が参加した。
『すずめの戸締まり』は、高校2年生の鈴芽が廃墟の扉を訪れる大学生の草太に出会い、日本を救う物語。鈴芽と草太が九州、四国、神戸、東京など日本の都市で発生する災難を防ぐために、必死に“戸締まり”をする旅程を描いた。
この日、新海誠監督は「コロナの真ん中でこの作品を作った。完成後、韓国に行けるか心配だったが、このように韓国で公開できてとてもうれしい」と感想を述べた。
続けて新海監督は、「ドラマ『トッケビ』で扉を使っているのを見て、“扉”にインスピレーションを受けた」と、映画の主要素材として扉を使った理由を説明した。
彼は、劇中に登場する“白い猫”ダイジンについて、「日本の神社に行けば2体の石像が扉のそばにあるが、それを見てインスピレーションを受けた。そして私は個人的に猫が好き。気まぐれな自然を象徴するものは何か悩んだ末、それにした」とし、「自然は美しいが、津波のような災害が襲ってくるときは誰も予測できない。そんな特性のある自然と猫が似ている」と着眼し、作品に反映した過程を伝えた。
原菜乃華は、自身が演じた“鈴芽”について「よく走る人物だ。前後を計算せずに、まっすぐに走る性格を持っている」とし、「私はそんな鈴芽がとても魅力的だと思う。自分にはない部分なのでとても羨ましい」と分析した。彼女は1700倍の競争率を勝ち抜いて、鈴芽役に抜擢された。
続けて「声優は初めてだったので、すべてが難しかった。ところが監督が手伝ってくれて安心してできた」とし、「この映画ではアクションシーンが多かったが、マイクの前に立って声を出すのが難しかった。スクワットをするなど、体を使いながら息切れした声を出すことができた」と録音の秘訣を打ち明けた。
心を清めてくれる新海監督の映画『すずめの戸締まり』は、日本で『君の名は。』(2017)、『天気の子』(2019)に続いて観客動員数1000万人を記録した。新海監督特有の叙情的な自然風景と温かいキャラクターたちの饗宴が再び受け入れられ、“トリプル千万”を記録したのだ。
新海監督は今年に入って韓国で『スラムダンク』や『鬼滅の刃』など、日本のアニメ映画がヒットしていることについて、「韓国の観客が日本のアニメを好きになってくれる理由をむしろ私が聞きたい」と述べた。
それでも「おそらくその理由のひとつは、韓国と日本が少し似ていることがあるからではないかと思う。韓国に来ると日本と似ていると思うし、ある時は“懐かしい”と思うこともある。そのため韓国の観客が日本のアニメを楽しんでくださり、日本の観客は韓国ドラマをたくさん見たりしているのだと思う」と話した。
新海監督は前作に続き、自然と災害を素材にした。彼は「“水”を描くのは容易ではない。小さな動きでも波動が大きいからだ。一緒に現場で作業する方々も、私に“また水なのか”と尋ねながら、あまり好まなかったが、それは私たちの役割だと思うので大変だが引き続き描こうと思う」と話した。
洪水、地震などの災害がいつ訪れるかわからないため、『すずめの戸締まり』で表現された大災害が単純にアニメの中の話には感じられない。
何より予想できない危機の中でも機知を発揮し、自分を犠牲にして他人を救おうとする鈴芽と草汰の精神世界のおかげで、命への感謝を感じることができる。『すずめの戸締まり』は絶望を生々しく見つめることで、希望の光を汲み上げる。これはこの映画が日本全域を越えて、全世界の人々にも説得力のある生存の叙事を抱かせた秘訣だ。
「同じ監督が描いているので、作品ごとにも共同のものがあるようだ。しかし、これから作る作品は今とは違って、まったく違う方向に行ってみようかと思う。新作についてはまだ白紙の状態なので、今回、韓国からインスピレーションを得られればと思う」
『すずめの戸締まり』は今日(3月8日)から韓国の劇場で見られる。
新海監督は「この映画は東日本大震災という現実の悲劇をベースにしている。それで観客には辛いかもしれないと思った。見るだけでも心を和らげることができる存在である“椅子”に設定した」とし、「それで鈴芽は“椅子”と歩き回る少女という設定にした。人間の草太はクールだが、“椅子”に変わってからは、なぜかもっと人間的で可愛い」と説明した。
最後に監督は「鈴芽が持っているメタファーを椅子の足で見せたかった。心に何かを失ったため、(椅子の)足を3本に設定したのだ。しかし椅子のように強く生きていけるということを見せたかった」と話した。
「韓国は日本と違って地震が発生しないが、災害はあちこちで多く起きると思う。必ずしも自然災害ではなくても、戦争のようなものが私たちの日常を断絶させる。日常が断絶したとき、人はそれをどのように回復するかについて話しているので、楽しく見てほしい」
(記事提供=OSEN)
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