「私は私を捨てた。もう私はいない。韓国のサッカーしかない」(ホン・ミョンボ監督)
サッカー韓国代表の新指揮官に就任した蔚山(ウルサン)HD FCのホン・ミョンボ(洪明甫)監督は、さまざまな感情が交錯したかのように、終始一貫して静かな表情で話した。
韓国サッカー協会(KFA)から代表監督オファーを受け入れた過程に触れながら、ファンに深く謝罪するとともに、“強い韓国サッカー”を約束した。
ホン・ミョンボ監督は7月10日、ホームの蔚山文殊(ウルサン・ムンス)サッカー競技場で行われたKリーグ1(1部)第22節の光州(クァンジュ)FC戦で、試合前の記者会見で代表監督への言及を避けた。
キックオフ前なだけに、まずは目の前の試合に集中し、終了後に立場を明らかにするという意思を示した。なお、試合は蔚山が0-1で敗れた。
試合後会見に出席したホン・ミョンボ監督は、「私の人生で最も難しい時期が2014年(ブラジル)W杯が終わった後だった。正直(再び代表に)行きたくなかった」とし、「10年前の代表、またはサッカー人ホン・ミョンボの人生の重荷を軽くすることができ、身軽になった。だからこそ、今年2月から私の名前が意図せず出ることが辛かった。ズタズタにされるような感覚だった」と話した。
そして、「7月5日、(KFAの)イ・イムセン委員長が家の前まで訪ねた。2~3時間待った委員長を拒むことはできなかった。そこで私に(提案して)言ったのは、MIK(Made in Korea)の技術哲学だった。以前、行政の仕事(専務理事時代)をした際に関心が高かった部分だ」とし、「特に世代別代表との連携性は非常に重要だと思う。行政には限界がある。最も重要なことは実行だ。実行するために最も良いのがA代表の監督だ」と続けた。
イ・イムセン委員長は最近、韓国サッカーの技術哲学を発表した際、A代表と世代別代表の連続性を取り上げ、これに合う監督を候補に置いていると説明したことがある。
ホン・ミョンボ監督は「一晩中悩んだ。正直、怖かった。不確実性を持つことに挑戦することが怖かった。そのなかにまた入るというのが…」と本音を吐露しつつ、次のように続けた。
「結果的に、私のなかで何かが出始めた。ずっと自分自身に質問した。自分のサッカー人生で最後の挑戦になると思った。もう一度挑戦したいという強い勝負欲が生まれたのも事実だ。本当に強いチームを作り、挑戦してみたいという思いがあった」
そして、「(悩む)時間があまりにも長かった。なぜか?自分自身を守らなければならないからだ。10年ぶりに(監督として蔚山で)面白いサッカーをしているのに、結果的に自分を捨てなければならないと思った。私は私を捨てた。もう私はいない。韓国のサッカーしかない。このようなことが、ファンの前で(代表監督には)行かないと話したが、(考えを)変えた理由だ」と説明した。
以下、ホン・ミョンボ監督との一問一答。
◇
―(光州FCに0-1で敗れたが)試合の感想は。
結果が得られず残念だ。ホームのファンに良い姿を見せなければならないが、そうすることができず申し訳ない。選手たちは最後まで最善を尽くした。厳しい状況だったが、全力を尽くしたと思う。
―韓国代表監督のオファーを固辞しながらも、最終的に受け入れた背景は。
まず、皆さんもご存知のように、私の人生で最も難しい時期が2014年(ブラジル)W杯が終わった後だった。とても苦しい状況だった。正直な心情は、(再び代表に)行きたくなかった。
あの2014年以降、10年と数日が過ぎた。これまで厳しい時期もあったし、蔚山で3年半、良い時間もあった。これらによってある意味、10年前の代表、またはサッカー人ホン・ミョンボの人生の重荷を軽くすることができ、身軽になった。だからこそ、今年2月から私の名前が意図せず戦力強化委員会、協会、メディアから出てくることが辛かった。ズタズタにされるような感覚だった。
7月5日、イ・イムセン委員長が家の前まで訪ねた。2~3時間待った委員長を拒むことはできなかった。そのとき、初めてイ・イムセン委員長と会った。そこで私に(提案して)言ったのは、MIK(Made in Korea)の技術哲学だった。私自身、(KFAが)MIKを発表した際に内容を知った。
一方で、以前に行政の仕事(専務理事時代)をした際に関心が高かった。サッカー代表、特に世代別代表との連携性は非常に重要だ。イ・イムセン委員長がおっしゃったときに私は考えた。行政というのは限界がある。最も重要なことは実行だ。実行するためには現場にいる人間が重要だ。そのなかで誰が実行するのが良いかと言うと、A代表の監督だ。
もちろん、今回イ・イムセン委員長が海外で2人の監督(デイヴィッド・ワグナー監督、グスタボ・ポジェ監督)に会った。内容はよくわからないが、(交渉が)上手くいかなかったという。率直に、私に強く頼む状況だった。一応話を聞いたし、私もその部分についてはある程度同意した。
しかし、決定を下さずにイ・イムセン委員長が帰った後、私は一晩中悩んだ。正直、怖かった。不確実性を持つことに挑戦することが怖かった。そのなかにまた入るというのが…。どうすれば良いか、答えを下すことができなかった。
ただ、結果的に私のなかで何かが出始めた。ずっと自分自身に質問した。自分のサッカー人生で最後の挑戦になると思った。以前の失敗をした過程とその後のことを考えるとぞっとするが、もう一度挑戦したいという強い勝負欲が生まれたのも事実だ。チームを本当に新しく作り、強いチームとして作り上げ、挑戦してみたいという思いがあった。
一晩中悩み、苦悩した。その時間が長すぎた。なぜか?自分自身を守らなければならないからだ。(監督として)10年ぶりにやっと(蔚山で)楽しいサッカーをして、選手たちと楽しい時間を過ごしているのに。結果的に(代表を選択し)自分を捨てなければならないという考えをした。私は私を捨てた。もう私はいない。韓国のサッカーしかない。 このようなことが、私がファンの前で(代表監督には)行かないと話したが、(考えを)変えた理由だ。
―韓国サッカー協会の規定上、(代表監督をめぐって)Kリーグの監督にオファーする際、特別な理由でなければ断ることができないとなっているが。
今はもうそのルールを変えなければならないと思う。時代が大きく変わった。以前のようにその部分についてKリーグの監督を拘束するのであれば、それは正しくない。時代の流れに合わせて変わらなければならないのではないか。
―(自身がKFAの専務理事を務めた時代)ロシアW杯終了後にパウロ・ベント監督を招へいする過程でキム・パンゴン委員長とシステムを作り、選任した。結果的に(今回は)そのシステムを放棄し、選任するという結果が出たが。
私は(今回の)システムがどうなったかはわからない。(イ・イムセン委員長が)会おうと言ったときも、(自分が)どんな評価を受けたのかと(聞いた)。戦力強化委員会で最も高い点数を得たというので会った。そのシステムがどうなったかはわからない。戦力強化委員会や協会でやったことだろう。
―強いチームを作りたいと話した。2014年の監督ホン・ミョンボと2024年のホン・ミョンボはどう違うのか。現在の代表はメンバーが優れているが。
今と10年前はかなり違うという考えだ。当時は率直に言って経験も足りなかった。サッカー指導者としてスタートする立場だった。もちろん、現在も足りない点は多いが、10年前よりはKリーグの経験もたくさんし、指導者としてとても良い時間だと思う。まだ足りない点がたくさんあるが、これからもっと多くの努力をするつもりだ。
韓国代表に良い選手がいるのは事実だ。ただ、皆さんもご存知だと思うが、我々はチームスポーツをする人間だ。何が一番重要かというと、才能をどこの上に上げるかということだ。献身や犠牲の上に(才能を)乗せれば、とてつもない力を発揮する。利己主義などの上に置かれた才能は発揮されない。これまでやってきて、身に染みて感じたことだ。良い選手もいるが、まずはどれだけ信頼を築くかが重要だと思う。
―戦力強化委員会に参加していたパク・チュホが、自身のYouTubeチャンネルで(監督選任に関する)暴露発言をして話題になった。
映像を見た。内容も確認した。個人的に、パク・チュホ委員が自分の持つコネクションを通じて、戦力強化委員会の活動を非常に熱心にしたと感じた。そのなかで困難があったため、そのような話もできるだろう。
個人的に、このようなことは韓国サッカー界でもっと行われるべきだと思う。それぞれの意見が尊重されながらだ。このようなことが、我々が一つの目標に進むうえで重要な部分だ。パク・チュホ委員の発言を不快に感じる人もいるが、そのようなことも我々が受け入れて、より良いサッカーに発展していかなければならない。
―(試合後)グラウンドを回りながら、(ブーイングをする)ファンに挨拶した。蔚山でホン・ミョンボ監督に対する批判的な横断幕が出るのは想像できなかった。
本当に申し訳なかった。これまで本当に良かったのに。もちろん、いつかは去らなければならない時期が来るだろうが、このような別れは望まなかった。私の過ちで去ることになった。本当に蔚山のファンに申し訳なく思う。申し上げる言葉がない。
2014年に(代表監督を)終え、協会での仕事を終え、(2022年より)蔚山を選択したときは、完全に私個人だけのために選んだ。蔚山で選手やファン、そしてサッカーのことだけを考えて過ごした時間がとても良かった。
今日は本当にいろいろな考えが浮かんだ。先日まで応援の掛け声だったのが、今日はブーイングが流れていたが、それについては全面的に私に責任がある。改めて、蔚山のファン、チョヨンチョンサ(蔚山サポーター)の方々にお詫び申し上げる。
(構成=ピッチコミュニケーションズ)
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