「困難があったのは事実」神戸退団ムゴシャが振り返るJリーグ時代「環境と都市は満足したが…」【一問一答】

ヴィッセル神戸を1年で退団したモンテネグロ代表FWステファン・ムゴシャ(31、仁川ユナイテッド)が、復帰会見でJリーグ時代を振り返った。

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ムゴシャは7月16日、仁川(インチョン)ユナイテッドの本拠地・仁川サッカー専用球場で行われた自身の復帰記者会見に出席した。

仁川は去る10日、神戸からムゴシャを完全移籍で獲得したことを発表した。契約期間は2025年までで、背番号は9番を着用する。

昨夏に移籍した神戸では、加入初年度にリーグ戦で5試合のみの出場にとどまった。先発は1試合のみで、プレータイムはわずか85分だった。

今季も状況は変わらず、リーグ戦では途中出場1試合で、ほかはリーグカップ3試合の出場のみだった。日本でゴールやアシストを記録することはなかった。

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)復帰記者会見でのムゴシャ

ムゴシャは仁川復帰を望み、自ら神戸との契約解除を試みたが難航した。そこで仁川がムゴシャの“復帰意思”を確認し、今月初めに「今季終了後にFA(自由契約)資格を得るムゴシャと2024年シーズンの契約に関する交渉を始める」という旨の意向書を神戸に送付した。その後、ムゴシャの仁川復帰が実現することになった。

ムゴシャは神戸での生活を振り返り、「サッカー的な部分での困難はあった。神戸の環境と都市には満足しているが、Jリーグに渡るやいなや出場できなかったことに衝撃を受けた。それでストレスを受けたし、難しく、不便だったことは事実だ」と伝えた。

神戸に渡る前、仁川では2018年の加入から2022年夏までの4シーズン半でリーグ戦通算129試合68ゴール10アシストを記録した。そんなクラブに再び復帰できただけに、ムゴシャは力強い“忠誠”を誓う。

「復帰する過程は簡単ではなかった。1~2カ月前までは不透明な状況だったが、仁川にだけ戻りたいという思いだった。だからこそ、助けてくれたクラブ関係者に感謝したい。こうして帰ってくることができただけに、仁川のためだけにプレーしたい」

「引退前まで仁川でプレーをすることが目標だ。まだクラブでプレーする時間は多く、引退について言及するのは早いかもしれないが、この言葉をファンやクラブの方々のために伝えたかった。仁川以外のクラブには行きたくない」

ムゴシャは今季の仁川を“歴代屈指のスカッド”と評価している。

「今季構成されたスカッドは2018年以降で最も良く構築されたと思う。これまでの仁川が弱かったという意味ではなく、2018年以降で歴代屈指のスカッドだと思う」とし、「私が長い間試合に出場できなかったので、パフォーマンスを取り戻すまでは時間が必要だ。期待できる姿で必ず復帰すると自信を持ってお伝えしたい」と意気込みを伝えた。

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)ムゴシャ(左)とチョン・ダルス代表取締役

以下、ムゴシャとの一問一答。

―仁川ユナイテッドに復帰した今の心境は。

「帰って来れたことに感謝している。復帰する過程でオーナーのユ・ジョンボク市長、チョン・ダルス代表取締役、イム・ジュンヨン戦力強化室長など、クラブの多くの関係者が注力してくださったおかげで、帰ってくることができた。本当に感謝したい。

何より、愛する仁川に帰ってくることができて嬉しい。ファンとコミュニケーションをし、喜びを分かち合うことができて嬉しい。仁川は単純な一クラブではなく家族だ。私にとって大きな意味を持つ。仁川復帰は本当に多くの意味で大切なことだ。

日本の空港から仁川に出発するときはワクワクしたし、どうやって喜びを表現すれば良いかわからなかった。仁川と初めて契約したときに感じた喜びより、今回復帰してサインしたときの方が嬉しかった」

―復帰するまでの過程と、仁川を選んだ理由は。

「仁川復帰は簡単な決定だった。仁川では素晴らしい時間を過ごした。愛情が込められたクラブであり、仁川はクラブを越えて家族の一部だ。もちろん、良い条件を提示してくれたクラブもあったが、心のなかは“仁川だけ”という考えだった。

復帰する過程は簡単ではなかった。1~2カ月前までは不透明な状況だったが、仁川にだけ戻りたいという思いだった。だからこそ、助けてくれたクラブ関係者に感謝したい。こうして帰ってくることができただけに、仁川のためだけにプレーしたい。

引退前まで仁川でプレーをすることが目標だ。まだクラブでプレーする時間は多く、引退について言及するのは早いかもしれないが、この言葉をファンやクラブの方々のために伝えたかった。仁川以外のクラブには行きたくない」

―日本ではどのような困難があったのか。

「サッカー的な部分での困難はあった。しかし、神戸の環境と都市には満足している。Jリーグについても良い評価を伝えたいが、結局はサッカーをするために(日本に)渡った。加入するやいなや出場できなかったことに衝撃を受けた。

序盤の5~6試合でプレーをしていれば得点もできて、良い勢いを付けられると思っていた。ただ、2~3試合で90分もプレーできず、ストレスを受けた。難しく、不便だったことは事実だ。

仁川では代表チーム、所属チームの試合を含めて得点を決め、パフォーマンスも良かったが、(日本では)出場できず難しかった。神戸の監督は外国人選手7人を擁していたが、実際に出場していたのは一人だけだった。ほかの外国人選手も苦労していた。

ただ、私はジェントルマンだ。良くない話をここで言及したくない」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)ムゴシャ

ー仁川をそれほどまでに愛するようになった理由とは。

「仁川での生活、サッカーなどすべてだ。2018年に仁川に初めて来たときに歓迎され、幸せを感じた。記録を立てる過程で多くのファンに愛された。それを身をもって感じることもあった。

ポジティブなエネルギーがピッチの内外で感じられる。モチベーションになるほどの応援を送ってくれた。このような特別な関係と信頼が続いたことで、愛情のこもったクラブになった。

家族のことも欠かすことができない。妻や娘、息子は、私が応援を受けながらプレーする姿を見て幸せそうだ。仁川という都市での生活、今後子どもたちが通うことになる学校などから来る満足感もある」

―今季の仁川は優れた選手を多数獲得しているが、これまで仁川の試合は見守ってきたのか。

「(昨年夏に)私が去るときも、“仁川の第1号ファンになって応援する”と話した。既存の選手やクラブ関係者と連絡を取り合ってきた。試合もすべてチェックした。昨季は上手く行ったが、今季構成されたスカッドは2018年以降で最も良く構築されたと思う。

最善を尽くして順位を引き上げなければならないが、立てた目標に近づくことができていないため、まずは再びファイナルAに上がり、より高く跳躍することが目標だ。

良い選手が迎え入れられたときも嬉しかった。これから彼らとともにプレーできるという事実もさらに嬉しい。慶南FC時代のエルナンデス、済州ユナイテッド時代のジェルソだけでなく、シン・ジンホなど重要な役割を果たした選手たちをよく知っている。

これまでの仁川が弱かったという意味ではなく、2018年以降で歴代屈指のスカッドだと思う」

―現在のコンディションはどうか。

「6月の代表招集当時、(同月21日の)チェコ戦で膝に軽微な怪我を負った。その後、3週間の休憩を取った。昨年、仁川を離れる前のパフォーマンスは期待できないとお伝えしたい。

フィジカルコーチやメディカルチームをはじめ、多くの方々が私のことを機にかけている。いつ、どの試合からプレーできると約束することは難しい。長い間試合に出場できなかったので、パフォーマンスを取り戻すまでは時間が必要だ。

私もトレーニングや努力はもちろん、チームメイトの助けを受けながら成長しなければならない。個人的な目標について数字で応えることは難しい。“最善を尽くす”という言葉しか伝えることができない。

まずはチームを助け、ファイナルAに入ることが目標だ。ACLも我々にとっては重要だ。FAカップでベスト4に進出したが、クラブ初のトロフィーにも挑戦できると思う。

監督も私のコンディションについてよく知っている。いつ復帰できるかもコミュニケーションを交わしている。期待できる姿で必ず復帰すると自信を持ってお伝えしたい」

―監督と交わした話とは。

「まずはたくさん歓迎してくださった。(神戸移籍前も)ともにした監督なので、お互いに信頼関係がある。

特に長い話はしなかった。“仁川に来てゴールを決め、新しいエネルギーを吹き込んで一段階高い水準に挙げられることに貢献できる”と伝えた。自分が果たすべき役割を理解している。今シーズン、最善を尽くしてチームを助け貢献したい」

(構成=ピッチコミュニケーションズ)

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