「自分は敗者」“日本人Kリーガー”石田雅俊が挑戦を続ける理由。背景にある覚悟とは【一問一答】

韓国サッカー界にとどまらず国内全体に衝撃を与えた日本人選手がKリーグにいる。

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その人の名は石田雅俊(26)。名古屋グランパスU-15を経て千葉県の名門・市立船橋高校で背番号10を背負い、インターハイ優勝などを経験した石田は、高校卒業後の2014年に京都サンガF.C.へ入団しプロの道に進んだ。

ただ、Jリーグではレンタル移籍でSC相模原、ザスパクサツ群馬、アスルクラロ沼津に在籍したが、これといった活躍はできず。2018年に京都との契約が満了後、翌2019年にKリーグ2(2部)の安山(アンサン)グリナースに加わると、それから同じく2部の水原(スウォン)FC、Kリーグ1(1部)の江原(カンウォン)FCでプレー。現在は今夏からレンタル移籍で2部の大田(テジョン)ハナシチズンに在籍している。

そんな石田が韓国で一躍時の人となったのは、去る10月10日にホームで戦ったKリーグ2第33節の安山戦でのこと。当時、古巣相手にプロ初となるハットトリックを達成、チームの4-1の勝利に貢献した石田は試合後のヒーローインタビューに登場。ファンへの一言を求められると、隣にいたチームの通訳に頼らず、自らの韓国語でこう伝えたのだ。

「これまでのサッカー人生を振り返ると、自分は敗者だと思っています。それでも、こうして人生を変えられる試合がいくつもあります。いずれにしても、昇格のために人生を懸けます」

多少のたどたどしさがあったとはいえ、石田の思いが伝わるには十分だった。石田の言葉は韓国国内で反響を呼び、インタビュー映像は韓国で100万回再生を突破。メディアもこぞって石田を取り上げた。

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(写真提供=韓国プロサッカー連盟)石田雅俊

では、石田はなぜ自らを“敗者”と表現したのだろうか。10月中旬、オンラインでのインタビューに快く応じてくれた石田本人に話を聞いてみた。

「日本の頃から負けてばかりのサッカー人生だった」

―石田選手のインタビューは韓国のみならず日本でも大きく話題となりました。自らを“敗者”だというあの言葉が浮かび上がったのにはどんな背景があったのでしょうか。

「確かに、普通ハットトリックした後のヒーローインタビューで自分を“敗者”と言う人はいませんからね。それで多分、“なんだこいつは”っていう感じで多分なったんでしょうね。ヤバい人がいるなって(笑)。

(あの言葉は)浮かび上がったといより、(自分が)敗者というのは常に意識、というか自覚があります。自分が敗者である状態を意識すると、試合のときに意外にパワーが入るんですよ。実際、僕の現状は敗者ですし、日本の頃も含めて負けてばかりのサッカー人生だと思っているので、それを意識すると自然と“やるしかない”という感情になるんです。なので、浮かび上がったというよりは、普段から自分が思っていることをそのまま伝えただけですね」

―それは“反骨心”という思いなのでしょうか。インタビューでは「人生を変えられるような試合もある」とコメントされていました。

「反骨心というより、シンプルに敗者やどん底にいる人間はどうやって突き抜けるか、どうやって圧倒するかが大事だと思っていて、それをしない限りはずっと負け組だと僕は思っています。その突き抜け方は常に論理的に考えていますが、ただ論理的なだけでもダメなので、そこにプラスで強い気持ちも持たなければいけないと思っています。

僕は自分に負け組とか敗者、どん底って言葉を常に言い聞かせていますが、週に1回ある試合の90分間だけは“どん底から脱出するチャンスがある”という意識でやっています。そうすると、意外にパワーが入るんだなっていうのを感じています」

―その意識が結果として表れたのが、ハットトリックを達成した安山戦だったということですね。インタビューでは通訳に頼らず、自身の韓国語でしっかりとコメントされていたと思いますが、その後の反響はいかがでしたか?

「やっぱりあのインタビューってすごかったんですかね。本当にあり得ないぐらいにとにかく反響がすごくて、特にインスタグラムにはメッセージがたくさん来ました。韓国のユーチューブで急上昇に乗って100万回再生されたからか、80%ぐらいは韓国人でしたが。嬉しかったのは、他競技のアスリートやサッカーをまったく知らない人、サッカーに興味がない人からもメッセージが届いたことです。偶然インタビューを見て“こんなサッカー選手がいるんだ”って感じで僕に連絡してくれたみたいで。嬉しかったですね」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)安山戦での石田雅俊

―その安山戦含め、直近5試合で6ゴール(取材当時)と結果を残しています。特に、注目を集めた安山戦の次節に行われた忠南牙山(チュンナム・アサン)FC戦でもゴールを決めていました。とても好調かに思われますが、自身のコンディションについてはいかがでしょうか。

「僕はとにかく自己分析をするタイプで、得点に関しては本当に他力な部分があるというのを感じています。だから、どれだけ自分が良い準備をしていても、どれだけ自分が良い状態であっても、まったく点が取れない試合はあると思っています。ハットトリックをした安山戦にしても、1点目を取るまではボールにほとんど絡めない展開で、正直これはヤバいって焦っていました。ただ、そんな試合でも結局はハットトリックできたので、あまり(自分のコンディションは)関係ないですよね。

正直、忠南牙山戦も感覚的にはハットトリックしてもおかしくない試合だと思っていました。それぐらいチャンスがあったんですよね。それでも一発はねじ込めたので良かったですが、そこでもう一度ハットトリックを決めていれば、また伝説になったかもしれませんね。なので、5試合で6得点という数字ではありますが、他力な部分があるので、あまり数字にはとらわれすぎないようにしています。

ただ、忠南牙山戦に関して言うと、自分は普段本当に満足しないタイプなのですが、この試合に関しては久しぶりに満足しました。下手したら今年1番かもしれないです。

あの試合は本当に大事だったんですよ。というのも、前節(安山戦)でハットトリックしてから一気に名前が広がったじゃないですか。その次の試合だったので、多分韓国でほとんどの人が自分のことを見ていたと思います。そこで絶対に隙を見せてはいけないなと思いました。少し浮かれている自分がいたので、“これじゃ絶対にダメだ。俺は負け組、敗者なんだ。この試合本気で行くしかないぞ”と言い聞かせて、とにかく集中力を高めて臨みました。

そうしたらすごく良い試合の入りができて、ミスもなくボールをどんどん要求してタッチの回数も増やして、前で効果的なプレーをたくさんして1点決めることができて、チームも勝利できた。なので、この試合であまり課題が見つからないんですよね。強いて言うならラストパスが2回ほどズレたので、そこのキックの種類もうちょっと増やしたいなと思ったぐらいです」

「正直、“Kリーグはちょっとないよな”って…」

―日本では2018年冬に京都との契約が満了し、その翌年から韓国に渡りました。Kリーグでプレーするようになったきっかけは何だったのでしょうか。

「最初は日本でトライアウトを受けて、Jリーグのクラブからも少し話は出ましたが、エージェントから言われるがままにKリーグの安山グリナースのテストを受けました。当時は正直、“Kリーグはちょっとないよな”って思っていたんですよ。ケガも怖いし、いろいろ危なそうだし。日本でサッカーをしている選手ならみんなそうだと思いますよ。

それでも結局テストには行きました。今でも覚えていますよ。2018年の12月中旬に2泊ぐらいで韓国に行って。テストの前日にはコンビニで買ったカップラーメンを食べたりして満喫していましたね。

で、実際にテストをやるんですけど、サッカーをやっている人ならあり得ないってわかってもらえると思いますが、90分の試合を2日連続でやったんですよ。“え、何そのテスト、めちゃくちゃキツいじゃん”と思って、軽めにやろうと思っていました。でも、緊張感も力みもなく良いプレーができたからか、テストを受けた選手にしては良いオファーをいただいて。それで行くことになりました」

―韓国でプレーすることに対し、当時はあまり乗り気ではなかったということですが、それまでKリーグや韓国サッカーについてはどんなイメージを抱いていたのでしょうか。

「強いイメージはありましたが、単純に“なんか危なさそう”、“ケガしそう”だなと思っていました。でも、実際にプレーしてみたら、VARが導入されていることもあってか、あまり危険なプレーはなかったです。今は結構クリーンにサッカーをしているので、そこはよかったと思います」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)安山グリナース時代の石田雅俊

―韓国では初年度に安山でプレーした後、昨シーズンは水原FCで昇格を経験しました。チームメイトには在日コリアンの北朝鮮代表FWアン・ビョンジュン選手(元川崎フロンターレ、ジェフユナイテッド市原・千葉、ツエーゲン金沢、ロアッソ熊本/現・釜山アイパーク)も在籍していました。

「水原FCではシーズン通してほぼ90分フル出場して、何度もチャンスがあったので20ゴールできるんじゃないかと思っていました。結果的に自分は10ゴール(4アシスト)で、一緒に2トップを組んだアン・ビョンジュンくんが21ゴールで。彼とは日本語でコミュニケーションが取れたこともありますが、2人のコンビネーションで結果を出せたのが良かったですし、プレーしていてすごく楽しかったですね」

―最後の昇格プレーオフでは、アン・ビョンジュン選手が後半ロスタイムに劇的なPKを決めて昇格を決めましたね。当時の心境としてはやはり嬉しかったですか。

「もちろんです。でも、最後のプレーオフはチームとして全然良くない試合でした。(日程的に)少し難しくて、自分たちはリーグ戦を2位で終えてから3週間まったく試合がなかったのに、相手は(プレーオフで)何試合か戦って勢いに乗った状態で。試合当日もめちゃくちゃ寒かったですし、3週間ぶりの試合だったからか、みんなの動きも硬かったです。それで全然良くない試合で、自分もあまりボールに絡めず少しイライラしながらプレーをしていました。最後の最後にアン・ビョンジュンくんがPKを決めてくれて、昇格は嬉しかったんですけど、終わり方としては良くはないなって感じでしたね」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)水原FC時代の石田雅俊(左)とアン・ビョンジュン

―水原FCを1部昇格に導いた後、今シーズン開幕前に同じ1部の江原FCに加入しました。デビュー戦となったリーグ開幕戦の相手は前年度アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)王者の蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)。先発出場した石田選手には決定機もありました。

「それまでの2年近く、安山時代と水原FC時代とで自分の中である程度の成功体験があったので、なんとなく自信はありました。今考えると、それが少し隙になっていたのかもしれませんが。今思うと、蔚山現代戦の開始5分の決定機が少し運命を狂わせたかなと思います。相手を外して完璧な形でシュートまで行けて、ボール1個分ずらしていれば入っていたのですが、相手も韓国代表のGK(チョ・ヒョヌ)で上手く弾かれてしまいました。それで、その後のシーンで肋骨を折ってしまって1カ月ほど休むことになったので、あの決定機が運命を狂わせたかなと。蔚山現代を相手にほとんどミスもなくやれていて、パフォーマンス自体も悪くなかったので、もう少しゴール前で怖いプレーをしなければといけなかったと思っています」

―蔚山現代戦での負傷から約1カ月近く戦列を離れることになり、復帰以降も試合にも出場していましたが、江原FCで過ごしたシーズン前半戦は9試合無得点という成績でした。

「肋骨のケガはリハビリできなくて、何もしてはいけなかったので、“3週間家にいて”と言われたんですよ。それが本当にキツくて。リハビリができたら多少のトレーニングはできますが、3週間も家にいるとほとんど何もできません。一人で家にいると精神的に病むときもあったので、今思うとあの時は苦しかったですね。サッカーは見たりはしていましたが、トレーニングをできなかったことがキツかったです。

(“パフォーマンスが上がらなかった”と)周りは言いますけど、映像を見返すと今とそこまでパフォーマンスに差はないんですよ。ただひとつ言えるのは、決定的なチャンスでシュートが入らなかった。それが1本でも入っていれば変わっていた可能性はあります。あとはポジション的な役割で、自分は自由に動き回ってボールを受けたかったのですが、それが許されないチームでした。その役割の関係が少しストレスになって、一瞬だけ自分の役割を破ったら監督に怒られました。“なんで中に入ってボールを受けているんだ”と。それからあまり使われなくなってしまったことが、移籍のきっかけの一つだと思います」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)江原FCでの石田雅俊(左)

―今夏の移籍市場で現在の大田ハナシチズンにレンタル移籍で加入しました。当時の思いはいかがでしたか。

「これまでずっと右肩上がりで、ようやく1部でプレーできるってところだったのに、ここでもう一回2部に行くとはどういうことだって思いますよね。トントンと行っていてここでつまずくかと思いましたね。それでも、すぐに“どうやってこのチームを昇格させるか”というのを考えていました」

―ただ、初出場となった6月26日のKリーグ2第18節慶南(キョンナム)FCで、前半途中に後方から相手のスライディングに遭って再び負傷してしまいます。それでも前半45分はプレーを続けましたが、当時の心境は。

「あの瞬間は“ヤバい”と思いましたね。ただ、運が悪いなんてよく言われますが、僕は運とかそういう言葉が嫌いで。結局のところ原因があって、少しトラップが左に流れちゃったんですよ。僕はサッカーでトラップがすごく大事だと言い聞かしているのですが、トラップが流れて前進できず、パスをした瞬間にスライディングが来てしまいました。やられた瞬間、“完全にヤバいな”、“下手したら1~2カ月はかかるな”って思って、頭が真っ白になりました。でも、周囲ではタックルをした選手が批判されたりしていましたが、あれは自分がトラップをしっかり決めなければいけなかったなという後悔があります。

(前半45分プレーしたことは)自分でもすごいなと思います。当時はあのケガで1カ月以上休むなとわかっていたので、何か良いプレーをしてから交代したいと思い、45分プレーしました。それでちょうどチームが逆転できたので、良かったかなと思い、ハーフタイムに交代をお願いしました。

正直、クラブ側も頭抱えていたと思います。“マサ(Kリーグでの登録名)やっちゃったよ”って。でも、皆が本当に自分のことを気にかけてくれたので、これはもうリハビリを死ぬ気でやるしかないなと思いました。“復帰した最初の試合で相手を圧倒するぐらいに活躍してやろう”という思いで1カ月のリハビリを頑張れたんですよ。友達やチームメイト、監督が気にかけてくれたこともあって、リハビリ期間はポジティブに過ごせました」

石田が分析する日韓サッカーの違い

―これまでKリーグでプレーしてきたなかで、日韓のサッカーの違いを感じることはありますか。

「僕はJリーグもKリーグもたくさん見るのですが、よく韓国はフィジカル、日本はテクニックと言いますけど、すごく抽象的な言い方だなと感じますね。僕的には日本もフィジカルは強いと思います。最近だと(ACL準々決勝の)名古屋グランパス対浦項(ポハン)スティーラースも観ましたが、名古屋の吉田豊選手のようなフィジカルが強い選手は韓国にいない。逆に、韓国でも1部には(テクニック)がうまいチームもあります。ただ、ビルドアップ時のボールを揺さぶるスピードやテンポはJリーグの方が早くてスムーズな印象があります。Kリーグは堅い試合をする。あまりプレスをかけず、後ろでコンパクトに守備を敷いて、とにかく守備的なチームが多いですね」

―Kリーグにおける1部と2部の差は感じますか。今季で言うと、1部で昇格組の水原FCや済州(チェジュ)ユナイテッドが上位に食いつき、2部では降格組の釜山(プサン)アイパークが苦戦をしていました。

「これもよく聞かれる質問で、カテゴリーの差は身体的な差と世界的に言われますが、良い選手が1部に来るのは当然ですから、個人能力は1部の方が上です。サッカーのスタイルで見ると、2部は芝生があまり良くないこともありますが、あまりボールをつながず、とにかく早く大きく蹴る展開が多い。1部はもっとゆったりしていて、ボールをうまくつないだりします1部だと上の2チーム(全北現代モータース、蔚山現代)以外はあまり変わらないと思います。やっぱり2強は少し抜きんでていて、それ以外はどこが3位になってもおかしくないし、どこが降格してもおかしくないと思います。どのチームも強いですし、簡単な相手ではありませんが」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)石田雅俊

―普段の練習日のスケジュールや過ごし方はどうなっているのでしょうか。

「練習は午前か午後に2時間程度で終わるのですが、今年はかなり自己分析をしています。ひたすら色んな選手の映像を見て、動きやポジショニングなどを学ぶことに時間を割いたり。あとは英語の勉強や筋トレもしています。コロナの影響もあってどこかに出かけたりすることがなかなかできないので。(シーズン終了後には)日本に帰れる予定なので、実家の料理を食べてゆったりして、コンビニに行ったり、友達に会ったりしたいですね」

―Kリーグでは石田選手以外も日本人選手が多くプレーしていますが、実際の交流はあるのでしょうか。1部では全北現代(チョンブク・ヒョンデ)モータースで邦本宣裕選手、大邱(テグ)FCで西翼選手が主力として活躍していますね。

「今シーズン、特に2部は自分、室伏(航/富川FC 1995)、磐瀬(剛/安山グリナース)という市立船橋高校の同期3人に、京都サンガF.C.時代の同期の田村(亮介/FC安養)がいるという奇跡的な状況が起きました。“またここで集まるんだ”って思いましたね。たまにご飯に行ったりはしています。一度磐瀬と試合したことはありますが、試合が始まったらどこが相手であろうと圧倒するだけなので、日本人対決とかはあまり関係ないです。(試合後は)軽く挨拶したり、話したりはします。

西君や邦本は1部で長くプレーしているので素晴らしいなと思います。1部に長く居続けることも簡単ではないと思うので。邦本は才能でスペシャルな部分がありますし、西君は本当に賢くてインテリジェンスなところを感じます。彼らから学ぶことも多いですね」

「いつかはまた日本で」

―大田はリーグ戦を3位で終え、昇格をかけたプレーオフに進むことになりました。石田選手は昨季に水原FCで昇格を経験していますが、昇格に懸ける思いはありますか。

「サッカーというスポーツはどんなに個人が頑張っても勝てないことがあります。個人的に“勢いに乗る”みたいな論理的ではない言葉は大嫌いですが、今はチームがとても勢いに乗っていますし、チームメイトもみんな好きなので、なんとかして昇格したいし、させてあげたい。そんな思いがあります。どうしても自分だけではコントロールできない部分はあると思っていますが、それでも最大限個人でできることはやりたいですし、覚悟はあります」

―石田選手自身、2部よりも1部でプレーすることへの思いは強いですか。

「それは間違いなくありますね。当然、自分の価値、人間としての価値、サッカー選手としての価値という意味でも、1部で活躍した方が当然価値はあるので、1部への思いはあります。リーグ戦の2試合(安山戦、忠南牙山戦)で自分の中で何かが吹っ切れて、“このやり方で行けば活躍できるな”という感覚をつかんだので、頭の中を整理しつつ、その勢いのまま臨むのみだと思います」

―最後に、これからの目標や夢があれば教えてください。

「僕は自分を“どん底の人間”、“負け組”、“敗者”だと言っていますが、そんな人間が“日本代表になりたい”なんて言える立場じゃない。Kリーグ2部でプレーをしている人間が。僕は日本の頃に裏切ってしまった指導者が2人いて。市立船橋高校時代と群馬時代の指導者なのですが、本当に魅力的な指導者だった2人に対して結果を出せなかった過去が自分にはあります。

それで、今は彼らのことを毎日思いながらサッカーをしていて、どこかのタイミングで彼らの顔であったり、彼らからいただいた言葉を思い出すんですよ。思い出すだけでも苦しいようなこともありますが、それが今頑張れている要因でもありますし、これからのサッカー人生で自分が成長した姿、完全に変わった姿を見せたい思いでやっています。

だからこそ、いつかはまた日本でプレーして2人に見てもらいたい。本当に自分は変わったんだという姿を見せたいので、そこは選手としての目標というか夢というか、選手を続けている間は何としても2人に何かを見せたい思いがあります」

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)石田雅俊(背番号7)

大田は11月3日に行われたリーグ4位の全南(チョンナム)ドラゴンズとのKリーグ2準プレーオフを制し、本日(7日)、リーグ2位のFC安養(アニャン)とプレーオフを戦う。石田にとっては田村との日本人対決であり、この試合で勝利したチームが1部11位とホーム&アウェーで行われる昇降格プレーオフへと進む。

はたして、石田は昨シーズンに続き所属チームを1部へと導くことができるのか。韓国で並々ならぬ覚悟を持って挑戦を続ける石田の挑戦はまだ終わらない。

(文・取材=姜 亨起)

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