初戦からそうすべきだった。客観的戦力で劣勢の台湾を越えるには、初戦の雰囲気が重要だったからだ。
スーパーラウンドを経て、決勝まで進む道のりが険しいことは知らなかったはずだ。緊張感を言い訳とするには“プロ”という修飾語がもったいない。
アジア大会4連覇に挑む野球韓国代表が、紆余曲折の末にグループB2位でスーパーラウンドに進出した。
グループA1位の中国、2位の日本をいずれも撃破してこそ、決勝に進むことができる。中国は常に「伏兵」とされ、日本は「宿敵」と分類されてきた。
ただ、グループステージで明らかになった戦力では、両試合とも確実に制することができるとは言い切れない。
初めて対戦する投手への“人見知り”もそうだが、試合が上手くいかないときに自分で解決する方法がわからないことが痛い。
グループ初戦の香港や最終戦のタイは、いわゆる「参加することに意味を置くチーム」と捉えられる。国内の社会人野球2部のチームと対戦して勝利したとしても、楽観視することが難しいのと同じレベルだ。
本来であれば、初戦からウォーミングアップをするようにプレーをすべきだったが、慌てる様子が試合中盤まで続いた。
球速120km台のストレートを投げる投手にはタイミングを合わせ辛い。選手たちは150km台の速球の攻略が身についているからだ。
人為的にスイングスピードを落とすことが難しければ、打席を活用することも突破口になり得る。
韓国の選手たちは習慣のように、バッターボックスの捕手側のライン際に立つことにこだわった。バットがホームプレートを過ぎた後にボールが飛んでくる場合も多く。無理に始動を遅くして手首を使うなど、悪い習慣も露呈した。
不振と不運が重なって気苦労が続いていたカン・ベクホ(24)は、10月3日のタイ戦の2打席目でようやく一歩ほど投手の方に移動し、糸口をつかんだ。
パク・ギョンス(39)など所属するKTウィズの先輩選手たちが、投手のタイプによって打席を活用する様子は見守っていたはずだが、いざ必要な場面で自分も応用できなかったのは残念な点だ。ほかの選手も似ている。
台湾戦も同じだ。相手の先発投手・林昱珉に対し3打席目まで解決策を見出せず、右往左往した。
2番手の古林睿煬は投球フォームだけで6種類もあった。右足を上げ、踏み返した弾力で投球動作を始めるときはストレート、自由な足を2回上げるとカーブ、クイックピッチでタイミングを奪う際はストレートなどが基本だったが、これさえも一定のパターンではなかった。
特殊な投球フォームを持つ投手に対しては、コースを絞ってヒットを狙う決断力が必要だ。あれこれと手を出していれば答えは出てこない。短期決戦であり、負ければ明日がないアジア大会だからだ。
ただ、韓国はまるでプロ野球のレギュラーシーズンのように「今日できなくても次打てば良い」という印象が強かった。
もはや身についてしまった習慣であり、短期決戦に必要な“選択と集中”に関して、コーチ陣が特に注文したこともなかったのではないかと疑われるほどだ。
アジア大会の野球は常に韓国、台湾、日本の三つ巴だった。なかでもプロの精鋭で構成された韓国は、いわゆる“ドリームチーム”と呼ばれた1998年バンコク大会から相手を圧倒し始めた。
しかしそこから2010年代中盤を過ぎて以降では、日本の最精鋭と対等なレベルから下がり始めた。それはオリンピックやWBCでもすでに証明されている。
相次ぐ惨敗劇に表向きは「国際競争力を強化しなければならない」と主張するが、韓国プロ野球の競争力も担保できないのが現実だ。
監督はもちろん、“先輩”たちで構成される解説委員たちも、選手に苦言を呈することができない文化が定着した。
ずば抜けた外国人投手やエース投手が登板する日には正常だった手首や腰などの痛みを訴えるベテランも多く、1~2カ月程度レギュラーになれば、まるで自分が本当の1軍選手になったかのように錯覚する若手も多い。
不思議な文化が深く根付いてしまったことで、韓国野球は国際舞台でも“平凡なチーム”に転落した。現在のアジア大会でも、まさにその程度のレベルであることを強く証明している。
野球人自ら改善の意思がないのだから、平凡な水準であっても維持できれば幸いなのだろうか。
(構成=ピッチコミュニケーションズ)
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