サッカー韓国代表MFのイ・ドンギョンが、日本代表DF板倉滉のチームメイトになった。
シャルケは現地時間で去る1月31日、イ・ドンギョンの獲得を発表。今季はレンタルながらシーズン終了には買取オプション付きの移籍だという。
1997年9月生まれのイ・ドンギョンは、Kリーグの蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)の下部組織的な位置づけの現代(ヒョンデ)中学、現代高校出身で、弘益(ホンイク)大学を中退して2018年に蔚山現代に入団した。
プロ1年目後半は2部のFC安養(アニャン)にレンタルで過ごし、2019年からは再び蔚山現代でプレー。Kリーグ1通算記録は72試合11ゴール6アシスト。
世代別代表経験も豊富で、2020年のU-23アジア選手権では5試合2ゴール1アシストでU-23韓国代表の優勝に貢献し、大会ベストイレブンにも選出されたりもしたが、イ・ドンギョンと聞いて日本のサッカーファンたち記憶に新しいのは昨年7月の東京五輪だろうか。
U-24韓国代表の背番号10を背負って東京五輪のピッチに立ったイ・ドンギョンだが、初戦のU-24ニュージーランド戦で敗れたあと、決勝ゴールを決めたニュージーランドのクリス・ウッドが求めてきた試合後の握手を拒否。
その瞬間を中継カメラで確認した韓国メディアも激怒し、「パフォーマンスも最低だったが、マナーも最低だった」と厳しく糾弾された。
その後、イ・ドンギョンは自分の非を認め謝罪。準々決勝のU-24メキシコ代表戦で2ゴールを決める活躍を見せたが、実はこの頃からイ・ドンギョンには欧州移籍の噂が出始めていた。
東京五輪直後にスペイン通信社『EFE』が「欧州進出への抱負を持つに値する」と報道。8月にはブンデスリーガの複数のクラブがイ・ドンギョンに興味を示しているということが明らかになり、今年1月初旬にはシャルケがもっとも積極的だと報じられた。
実際、シャルケは今回の発表に際して、「我々はしばらくの間、イ・ドンギョンを観察してきた。彼を見るために韓国を訪問したこともある」とも明かしている。
また、蔚山現代のホン・ミョンボ監督も、先日行われたKリーグ・キャンプ記者会見で「イ・ドンギョンの海外移籍に関してはクラブと本人との間で合意した状態。今は移籍の最終提案を待っている状態」として移籍が秒読み段階にあることを示唆していた。
そんな中、韓国代表は年明け早々からトルコ合宿を開始したが、イ・ドンギョンもその合宿にも参加。1月5日のアイスランド戦には先発出場。
その後も韓国代表としてカタール・ワールドカップアジア最終予選アウェー2連戦(1月27日レバノン戦、2月1日シリア戦)を戦うチームに帯同しているが、意外だったのはその合宿期間中に一度チームを離れてシャルケに飛んだことだ。
シャルケが移籍を正式発表する10時間前ほどにKFAは「イ・ドンギョンがドイツクラブ移籍のためのメディカルチェックを受けるため、ドイツに出国する。1日未明にUAEのドバイに戻り、代表に合流する予定だ」と明らかにているのだ。
つまり、KFAや代表チームの現場レベルの理解もあった移籍交渉がスムーズにいったとも言えなくもないが、ひと昔前なら考えられなかったことだ。
1994年W杯でドイツやスペイン相手にFKを決めて大活躍した韓国代表DFホン・ミョンボのもとには、イタリアのセリエAの有力クラブからオファーもあったそうだが、当時のKFA関係者は本人に伝えずもみ消してしまったという。
韓国ではまだ海外移籍が「流失」と受け止められた時代だった。
それを考えると今回の後押しは選手にとってありがたいかぎりだろうが、代表合宿中に欧州移籍が決まったのはイ・ドンギョンだけではない。
イ・ドンギョンと同じく蔚山現代に所属する韓国代表FWイ・ドンジュンも1月27日に韓国代表の合宿から一旦離れてドイツに渡り、ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへの移籍を決めている。契約書にサインするイ・ドンジュンの服装は韓国代表のトレーニングウェアだった。
日本でも昨年、冨安健洋のアーセナル移籍の際に日本代表の森保一監督が選手のキャリアを優先して代表離脱を許可したことが話題になった。
今回、韓国でもパウロ・べント監督らコーチングスタッフたちの理解と後押しがあったのではないかと推測できる。
(文=慎 武宏)
前へ
次へ