チャン・ギョルヒは2011年にバルセロナのスカウトを受けてイ・スンウとともにスペインに渡り、2015年にはフベニールAに昇格。地元メディアからは「将来、イニエスタに代わる逸材になるかもしれない」とまで評価された。
ただ、最終的にバルセロナのトップチームでプレーすることは叶わず、2017年に退団。その後、アステラス・トリポリスFC(ギリシャ)を経て母国の浦項(ポハン)スティーラースに加入するも、いずれのクラブでもトップチームで出場することができず、2020年1月に契約満了で浦項を退団して以降は無所属状態が続いた。
そして2021年2月、K3リーグの平沢シチズンに加入。同年3月のFAカップ1回戦では、キャリアで初となるトップチームの試合に出場し、選手として再出発を切ったが、シーズンを通して主力に定着することはできず、最終的に公式戦11試合1ゴールの成績で終了。同年12月31日、契約満了に伴い平沢シチズンを退団していた。
チャン・ギョルヒが指導者転向を決断した背景には、小学校時代から縁のあるユース指導者のキム・タクドル氏の助言、またチャン・ギョルヒ自身が抱いていたユース育成に関する意志があるという。
実際、チャン・ギョルヒはすでにキム・タクドル氏が運営する「平沢シチズン幼少年サッカー団」にコーチとして合流している。なお、同クラブはチャン・ギョルヒが昨季まで在籍した平沢シチズンと同名であるが、両クラブ間に関係性はない。
バルセロナ下部組織では、クラブが18歳未満の選手獲得・登録に関する規定を違反したこともあり、公式戦出場停止処分を科せられるなど、ユース時代に困難を経験したチャン・ギョルヒ。
Kリーグ王者の全北現代(チョンブク・ヒョンデ)で主力を張り、韓国代表にも返り咲いたペク・スンホや、出場機会を求めて欧州から母国に帰ってきたイ・スンウらと比べても、あまりに早い現役引退となったが、今後は指導者としての成功を願うばかりだ。