大宮アルディージャにも在籍した36歳イ・ホが、“古巣”蔚山現代に2度目の復帰を果たしたワケ

「蔚山現代でもう一度優勝し、そのときにユニホームを脱ぐ」

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今冬の移籍市場でプレイングコーチとして蔚山現代(ウルサン・ヒョンデ)に加入したイ・ホ(36)は“優勝請負人”と呼ばれる選手だ。

蔚山現代が果たした2005年のKリーグ優勝や2011年のリーグカップ優勝、2012年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝など、2000年以降の蔚山現代の歴史的瞬間にはいつもイ・ホがいた。

2012年ACL優勝当時のイ・ホ

去る2003年に蔚山現代に入団し、19歳でプロデビューしたイ・ホは、豊富な運動量と堅固な守備力で瞬く間に蔚山現代の中心選手となった。

イ・ホは2006年ドイツW杯の韓国代表メンバーに選出された後、同年にゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)へ移籍。その後、城南(ソンナム)FC、アル・アイン(UAE)、大宮アルディージャ(日本)を経て2011年に蔚山現代へ復帰すると、兵役のため尚州尚武(現・金泉尚武)でプレーした期間を挟み、2014シーズン終了後に自由契約となるまで、蔚山現代で通算161試合に出場して5ゴール8アシストを記録した。

その後、2015~2016年に全北現代(チョンブク・ヒョンデ)モータースでプレーしたイ・ホは、2017年からタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドFCに加入し、2020シーズンは同リーグのアユタヤFCでプレーした。

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)

イ・ホが“優勝請負人”と呼ばれる真の理由は、これまで在籍したチームで数多くの優勝トロフィーを手にしてきたからだ。

蔚山現代だけで3度の優勝を経験したイ・ホは、ゼニトでリーグ優勝(2006-2007シーズン)、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝(2007-2008シーズン)、UEFAスーパーカップ(2008年)、尚州尚武でKリーグ2(2部)優勝(2013年)、全北現代でKリーグ優勝(2015年)、ACL優勝(2016年)を経験した。

今回、ホン・ミョンボ新監督体制に生まれ変わった蔚山現代がイ・ホを呼び戻したのは、経験や能力だけでなく彼の持つ“優勝の機運”があったからだ。

「いつも心の中に蔚山現代が…」

イ・ホは蔚山現代の冬季キャンプ地である慶尚南道(キョンサンナムド)統営(トンヨン)で本紙『スポーツソウル』のインタビューに応じ、次のように語った。

「もう私は試合にたくさん出場し、たいしたことをできる年齢ではないが、周りの先輩方が“(優勝の)機運は無視できない”と言っていた。その機運を発揮して蔚山現代で優勝できれば、何にも代えがたい嬉しさがあるのではないだろうか」

イ・ホが考える優勝への最優先事項は何か。彼は「結局ワンチームだ。言葉では難しい」と話すと、「チームには1シーズンの周期がある。良いときは限りなく良い。問題はチーム全体の調子が悪いときだが、良いチームはそこで力を発揮するもの。そのためには絆が必要だが、(プレイングコーチとして)そういう役割を果たすことが最も大きな任務となる」と強調した。

(写真提供=蔚山現代)『スポーツソウル』とのインタビューに応じるイ・ホ

実際のところ、イ・ホはタイでの生活に満足していたという。ムアントン・ユナイテッドは30代後半に突入したイ・ホに再契約を提案するほど、彼の選手価値を認めていた。

イ・ホは「これまでは、サッカーをしながら強烈なプレッシャーを感じることが多かった。タイではサッカーを楽しむ雰囲気があり、サッカーと人生が完全に区分されていた。私はただ“外国人選手”として、パフォーマンスを発揮することだけに気を使い、ピッチの外では妻と3人の娘と多くの時間を過ごすことができた」と振り返った。

それでも今回、イ・ホがKリーグ復帰を決断したのは蔚山現代を思う気持ちがあったからだ。イ・ホは「いつも心の中に蔚山現代があった。いつか選手生活を終えるときに戻りたいと思っていたが、実際に連絡が来るかどうかはわからなかった。家族も私の状況を理解してくれた。蔚山現代の選択に躊躇しなかった」と語った。

もう一つの理由はホン・ミョンボ監督の存在だ。イ・ホは「ホン監督は選手や指導者としても立派だが、人間として尊敬できる部分が多い。蔚山現代で信頼に応えたい」とし、「今シーズン、チームがKリーグ首位奪還に成功すれば、悔いなくユニホームを脱げると思う」と笑顔を見せた。

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