かつてアジアの舞台で日本勢とも数多く対戦した韓国の名門が、いまはKリーグ2部を戦っている。水原三星(スウォン・サムスン)ブルーウィングス。リーグ戦優勝4回、カップ戦優勝5回を誇り、ACLでは鹿島アントラーズやヴィッセル神戸などと激闘を繰り広げた韓国の伝統ある“トリコロール”だ。
【インタビュー】水原三星の元Jリーガーが見つめる「日本サッカー」
そのチームで副キャプテンを務めているのが、京都生まれの在日コリアンDF韓浩康(ハン・ホガン)である。プロ10年目となる今季、“韓国でのラストシーズン”を過ごす32歳のセンターバックは、どんな思いを胸に戦い続けているのだろうか。
韓浩康は日韓の両方でキャリアを積み重ねてきた。京都朝鮮高校、朝鮮大学校を経て2016年にモンテディオ山形へ入団すると、期限付き移籍を経て加入したブラウブリッツ秋田ではJ3優勝を2度経験し、2021年には横浜FCでJ1の舞台も戦った。そして2022年、Kリーグ2部の全南(チョンナム)ドラゴンズ移籍で戦いの場を韓国に移し、2023年より水原三星の一員としてプレーしている。
ただ、水原三星は彼が加入した2023年にクラブ史上初の2部降格。2024年は昇格プレーオフ圏外の順位に沈み、1年での1部復帰を逃した。クラブにとって是が非でも“昇格”が求められる今季、韓浩康は開幕前に副キャプテンの一人として任命された。
「昨季の時点で一度契約が切れて、1年延長することになったのですが、その背景としてクラブが僕のことを望んでくれたというか。1部昇格に向けて必要な存在ということで、監督含めクラブとしてそのようなメッセージがあり、自分としてもトライしてみたいなと。Kリーグでプレーできる最後の1年でもあったので、“今年1年頑張ろう”という気持ちでシーズンに臨みました」
韓浩康が「Kリーグでプレーできる最後の1年」と口にするのは、在日コリアンと“兵役”をめぐる避けられない事情があるからだ。
韓国ではすべての成人男性に兵役が義務付けられているが、韓浩康のように日本で生まれ育った在日コリアンは「在外国民2世」としてその義務が免除されている。だが、韓国籍を持つ「在外国民2世」が「通算3年」を越えて韓国に滞在した場合は、兵役義務が課されることになる。
2022年からKリーグで戦う韓浩康が来季(2026年)以降もプレーを続けるとなれば、韓国滞在の積算期間が3年を超過することになる。そのため、2025年を“ラストシーズン”と位置付けているのだ。
もっとも、開幕直後のシーズン序盤にDF陣の主力を担った韓浩康は、5月以降からベンチを外れる試合が増え、出場機会に恵まれない時間が続いた。チームが昇格PO圏内の2位という好順位を走るなか、「選手としては試合に出なければ自分が持っているものもチームに還元できないですし、貢献もできない。そういう部分で、少し難しい時間を経験しているのは事実ですね」と、この間の葛藤を明かす。
そのうえで、「サッカーではよくあることですし、これもサッカーの一部だと思う」と前を向く。
「僕ができるところとしては、やはり日々の練習でどれだけサッカーにひたむきに向き合えるか。僕は引退した時に後悔したくないので、自分でコントロールできる部分とできない部分を明確にして。コントロールできない部分に関してはどうすることもできないので、それよりも自分がコントロールできる部分に注力したいと思っています。最終的に試合に出場できるかできないかは監督が決めることで、そこを僕がコントロールしようとしても無理なので、ならば日々のトレーニングでどれだけこう全力を出せるか。そこに僕は集中しています」
韓浩康が水原三星の1部復帰に強い思いを抱く背景には、「個人的にも傷つき、多くの方を傷つけてしまった」と振り返る2年前の苦い記憶がある。
彼が加入した2023年シーズン、水原三星は開幕10戦未勝利など深刻な不振にあえぎ、1年通して1部12チーム中11~12位を推移。一度も降格圏から脱せないまま、ホームで迎えたリーグ最終節で最下位が確定。この試合で韓浩康もフル出場し、クラブ史上初となる降格をピッチ上で味わった。
「1試合ですべてが決まりましたが、それまでの過程が良くなかった。“大丈夫だろう”という雰囲気がずっと続き、誰も声を上げようとはせず、流れるように降格までズルズル行ってしまった。ただそこで終わるのか、それを力に変えて再び這い上がるか。僕は後者の姿勢が大事だと思っています。終わったことはどうしようもないと言えばそこまでですが、過ぎたことなので、それをいかに力に変えるかという部分が大事になると思います」
「(降格は)良い思い出にはならないが、そこから学ぼうとしなければ次には進めない」。そう強調した韓浩康は、秋田でのJ3優勝、横浜FCでのJ2降格、水原三星でのK2降格を踏まえて「残留争いをする時にチームとしてどれだけ危機感を持てるか、今いる環境がどれだけありがたいかと感じられるか、その点を全員で共有しなければならないと思います。誰か一人だけで戦うのは難しく、いかにチーム一丸で戦えるかが大事になりますが、降格したシーズンを振り返るとチームとしてバラバラで、目標もブレブレだった。降格するには降格する理由がちゃんとあると僕は思うので、同じ失敗を繰り返さないように、それを糧にするしかありません」と言葉を重ねる。
降格が決まった後、韓浩康は自身のSNSで水原三星サポーターに向けて長文のメッセージを投稿している。そこでは降格に対する謝罪とともにサポーターへの感謝、「より強くなるためにどうすべきか、言葉よりも行動で表現する」という思いが綴られていた。
「どのクラブであっても、ファン・サポーターの方々はクラブがどんな時でも応援する姿勢がありますが、水原三星のファン・サポーターは特にその忠誠心が強いと感じます。結果は残念なものになりましたが、そこに対して蓋をするのは人間的に無理だと思いまして。降格した責任を感じると同時に、苦しいシーズンを共にしてくれた感謝の気持ちも伝えたいと考えていました。試合を観戦してくれて、応援してくれるファン・サポーターの方々がいなければ、僕らの仕事は成り立たないので。そこも含めてサッカーの一部だと思いますし、だからこそあやふやにしたくなくて、そういう発言や姿勢を見せることが大事だなと思いました」
韓浩康の言葉の通り、水原三星は降格を経てもなお多くのサポーターに支えられている。今季ホームゲーム観客数はここまで15試合で計18万8836人、平均1万2589人。これは2部で断トツの数字であり、1部に当てはめても首都に本拠地を置くFCソウル、国内屈指の強豪である全北現代(チョンブク・ヒョンデ)モータース、蔚山(ウルサン)HD FCに次ぐ4番目の規模に匹敵する。
「彼らは伝統あるクラブのサポーターで、常に勝利に飢えています。ただ、2部での勝利には満足せず、1部復帰時に上位で戦えるようなチーム作りを求めている。降格した時に限らず、1試合負けただけでも厳しい声をかけてくれる。それはプロのサッカー選手として当たり前だと思っています。逆に、良いプレーが出た時や勝利した時は良い声をかけてくれるので、とても熱狂的だなと感じています」
サポーターの期待を背に、水原三星の副キャプテンとして名門復権に尽力する韓浩康。彼は同時に、“在日コリアン”としての使命も自覚している。
「僕は安英学(アン・ヨンハッ)さんをとてもリスペクトしていて、英学さんに憧れてプロサッカー選手になりました。英学さんが取り組んで来られた“架け橋になる”という部分で、自分も日本・韓国・朝鮮を繋げられる“架け橋”のような存在になれたらと思いながら、サッカー選手として活動しています。その姿を次世代の後輩たちに見て、感じてもらって、また次の世代に繋げてほしいと思っています」
2021年より自身が発起人となり、毎年冬に開催している「MIRERO(ミレロ)」もその一環だ。同プロジェクトでは在日コリアンや日本・韓国の高校生たちが交流戦を繰り広げる「MIRERO FESTIVAL」、より個人にフォーカスしたトレーニングプログラムを提供する「MIRERO CAMP」など、“非日常の体験”を通じて夢に挑戦するきっかけを届けてきた。
「日本社会や在日社会もそうですが、どんどん少子化が進み、数的に縮小している現実があります。だからといって諦めてほしくないという気持ちもあり、夢を大きく持って、それに向かって全力で取り組めば夢は叶うというのを伝えたい。それこそ自分が決して良いわけではない環境から這い上がって、何もない所から水原三星という名門でプレーできるまで至ったので、それを後輩にも伝えていきたいです」
「MIRERO」は昨年で4回目の活動が終了。「今まではどちらかというと在日コリアンの後輩にスポットを当てて実施してきましたが、彼らだけではなく、韓国も含めて“サッカーをしている次の世代”に目を向けて、範囲を広げて取り組んでいきたいと思っています」と、プロジェクトの今後の展望についても語ってくれた。
韓浩康が水原三星の一員として戦える時間は、もう多くは残されていない。去りゆく者としての覚悟を胸に、彼は最後までクラブの“1部復帰”だけを見据えている。
「僕が水原三星に加入した時、クラブは1部にいました。だからこそ、降格させてしまった責任を感じていますし、今季必ず昇格させて、クラブを元の位置に戻す。自分にできる限りのことをして水原三星が1部に上がれれば、このクラブでやれることはすべてやりきったと言えると思うので、今はそこに集中したいと思います。来季、仮にクラブが1部を昇格したとしても自分はそのピッチに立てませんが、チームメイトたちが水原三星のエンブレムを胸に1部の舞台を戦えるなら、やり残したことはないと言えます」
韓国の地でプレーしながらも、韓浩康はJリーグで過ごした日々を忘れてはいない。山形、秋田、横浜FCといった古巣への思いも込めて、日本各地で自身を支えてくれた人々への感謝をこう口にする。
「僕は今年でプロ10年目になりますが、日本で過ごしながら多くの方に支えていただいたからこそ、今があると思っています。また、支えていただいた方々に対して感謝の気持ちを忘れたことは一度もありません。今でも古巣の結果はずっと追っていますし、応援する気持ちも抱いているので、そのことを皆さんには知っていただきたいです。そして、自分が恩返しとしてできることは、プレーヤーとしてしっかりピッチ上で示すことだと思うので、そこに向けて全力で頑張りたいと思います」
そして最後、同じルーツを持つ在日コリアンの後輩たちに向けて、自らの“姿勢”を通じて託したい思いを語った。
「僕はプレースタイル的に、姑息なプレーや汚いプレーというのはあまり好きではありません。正々堂々と戦って、何回転んでもその度に立ち上がって、最後まで諦めない姿勢で僕はここまでやってきました。そういった姿勢を見て、“上手い選手”よりも“チームに必要な選手”、“姿勢で示せる選手”に後輩たちにはなってほしい気持ちがあります。それはサッカーだけではなく人生においても同じで、常に姿勢で頑張ってほしいなと思っています。このことを、僕は今サッカーを通じて皆に見せる番だと思いますし、それを見て後輩たちが“次は自分たちの番だ”と思ってもらえるように、頑張り続けていきたいです」
9月27日にアウェイで行われたKリーグ2第31節の忠南牙山(チュンナム・アサン)FC戦、韓浩康は“昇格”の2文字が書かれたキャプテンマークを巻いて先発フル出場し、チームの3-1の快勝に貢献した。1部復帰というクラブの至上命題に挑む韓浩康の“最後の戦い”を、歓喜のホイッスルが鳴る瞬間まで見届けたい。
(取材・文=姜亨起/ピッチコミュニケーションズ)
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