当時についてピョン・ウンジは「赤ちゃんは確かにかわいいが、言葉が通じないので私と2人きりでいるような気分。憂鬱さが骨の中に入り込み、すべてに自信がなかった」と話す。あまりのつらさに、ピョン・ウンジは幼い赤ちゃんを抱いて夜中の野山へと足を運ぶ。「全部放り投げたい。私死にたい」とし、「なんで私だけ大変なの?なぜ私の体だけが変わり、なぜ私だけ学校を辞めて、私だけが変わるのか」とし、産後うつが酷くなったという。
だがピョン・ウンジは産後うつを克服。それだけでなく、年子の息子をもう2人も授かることとなった。「夫と家族の助けで(産後)うつを克服した。その後、赤ちゃんが好きになったので、育てるならば早く育てようと計画して産んだ」と明かしたピョン・ウンジに対して、パク・ミソンが「3人目も計画したのか」と尋ねると、「いいえ。でもすぐできたので産んだ」と話し、皆を驚かせた。
また、夫のヒョンスはピョン・ウンジと一緒にいるために職種も変えたそうだ。ヒョンスは「(当時)ショッピングモールで働き始めて2~3カ月しか経っていなかった。(今は)家で仕事をしている。一番の大きな理由は、妻一人で子供の世話をしなければならないからだ。それで、どうすれば妻を助けることができるかと思い、在宅勤務ができる仕事を選択することになった」とし、堅実な夫の姿を示した。
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