「金こそが権力であり、権力こそが正義だ」
ディズニープラスの野心作『メイド・イン・コリア』が、そのベールを脱いだ。
1970年代、野蛮な時代でありながら機会の地でもあった韓国を舞台に、金と権力を追い求める男たちの荒い息遣いが、画面越しに迫ってくる。映画『インサイダーズ/内部者たち』『KCIA 南山の部長たち』で“韓国型権力ノワール”の職人として名を刻んだウ・ミンホ監督は、今回も自身の強みを余すところなく発揮している。
しかし、このシリーズを支える最大の柱は、いうまでもなくヒョンビンとチョン・ウソン、2人の俳優による“狂気の演技対決”だ。
最も目を引くのは、ヒョンビンの変身ぶりだ。これまで大衆に強く印象づけられてきた“メロ職人”としての甘い笑顔は、もはや影も形もない。
劇中、野心のために飛び火に身を投じるような男「ギテ」を演じるヒョンビンは、成功への渇望でぎらつく眼差しをまとっている。
彼は、善と悪の境界が曖昧だった1970年代そのものの顔だ。金の匂いを嗅ぎつければ手段を選ばないその姿は、映画『麻薬王』のソン・ガンホを想起させるが、ヒョンビンはそこに特有の洗練された“冷気”を加え、自分だけのヴィラン像を完成させた。
第1話から第2話で見せた爆発的なエネルギーは、「ヒョンビンの人生最高の演技」という評価も決して大げさではない。
チョン・ウソンは、ギテを執拗に追う検事「ゴニョン」役を演じる。映画『ザ・キング』などで見せた政治検事の滑らかさとは、明らかに異なる質感だ。
今回のチョン・ウソンは“動物的”といえる。理屈よりも本能、法典よりも拳が先に出そうなゴニョンというキャラクターは、ともすれば陳腐になりかねない「正義の使徒」という立ち位置を、立体的な存在へと変えている。
とりわけ、2人の俳優が画面内で衝突する瞬間に生まれる破裂音は圧巻だ。ヒョンビンが冷たく刃を研ぐなら、チョン・ウソンは熱くぶつかってくる。この相反するエネルギーの衝突が、時代劇という枠組みの中で単調になりがちな物語に、張り詰めた緊張感を吹き込んでいる。
ウ・ミンホ監督の演出は、相変わらずスタイリッシュだ。
タバコの煙が立ち込めるルームサロン、角ばったデザインのグレンジャー(高級車)、ヴィンテージ感あふれるファッションなど、1970年代のミザンセーヌを完璧に再現している。スピード感ある展開と耳に残るセリフの数々は、“キリングタイム”作品としても申し分ない。
一方で、「好き嫌い」が分かれるポイントも明確だ。一部の視聴者からは、「また70年代か」「男性中心の、いわゆる“男だらけ映画”の文法から一歩も抜け出せていない」といった批判も聞かれる。
暴力と罵声、酒と裏切りに彩られた物語は、『インサイダーズ』や『悪いやつら』といった既存のヒット作の影を払拭するには、やや既視感が否めない。「メイド・イン・コリア」という大仰なタイトルが放つ重みに比して、物語が結局は「男たちの縄張り争い」に帰結するのではないかという懸念もある。
結論として、『メイド・イン・コリア』は新しくはないが、強力である。物語の斬新さよりも、俳優たちの演技力と時代の空気を味わう作品だ。ヒョンビンとチョン・ウソンという2人のトップスターが泥水の中でもがく姿を見るだけでも、十分に視聴料の価値はある。
ただし、本作が単なる“レトロ調ギャングスタームービー”を超え、2025年の観客にどのような示唆を投げかけるのかは、残りのエピソードを見届ける必要があるだろう。
野心という名の怪物が1970年代の韓国をいかに飲み込み、また形作っていったのか。その行き着く先を確かめたくなる力は、十分に備えている。
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