朝鮮王朝の法律に沿って国王が決定したように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていた。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのだが、実際には多くの王妃が廃妃になっている。
そこで、廃妃となった主な王妃を見ていこう。
不運なのは、夫がクーデターで王位を追われたことで廃妃になったケースだ。10代王・燕山君(ヨンサングン)の正妻だった慎(シン)氏、15代王・光海君(クァンヘグン)の正妻だった柳(ユ)氏が該当する。
彼女たちには尊号が贈られていないので、歴史的にも「廃妃・慎氏」「廃妃・柳氏」としか呼ばれない。よって、“廃妃”という形容が永久についてまわる。
理不尽な形で廃妃となったのは、11代王・中宗(チュンジョン)の最初の正妻だった端敬(タンギョン)王后だ。
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本人に落ち度はまったくなかったのだが、彼女の叔母が燕山君の正妻だった慎(シン)であり、父親も燕山君の側近だったことから、クーデターを成功させた高官たちから警戒された。
その末に、中宗が望んでいないのに、高官たちによって廃妃が決められてしまった。庶民から同情を多く集めたのも当然のことだ。この端敬王后は時代劇『七日の王妃』のヒロインになっている。
また、王の寵愛を失って離縁させられたのが、9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の正妻だった廃妃・尹(ユン)氏と、19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の正妻だった仁顕(イニョン)王后だ。
しかし、2人の廃妃後の運命は決定的に違う。
尹氏は廃妃のあとに死罪になっている。それに対し、仁顕王后は劇的な形で再び王妃に復帰した。なぜ、それが可能だったのか。
仁顕王后が復帰できたのは人徳があったことも関係している。
彼女は廃妃になって実家に戻った際も、「私は罪人だから」という理由で離れの粗末な小屋で暮らしたと言い伝えられている。
その謙虚な生き方が後に粛宗の気持ちを改めて動かし、彼女は王妃に復帰できたのかもしれない。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)
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