韓国に20年以上も入国できずにいる歌手ユ・スンジュンが、デビュー28周年を迎えて韓国のファンに感謝の気持ちを伝えた。
ユ・スンジュンは4月1日、自身のSNSを通じて、「28年になった。一緒に過ごした時間があまりにも短くて残念だ。だからこそ、より特別なのかもしれない。過去の思い出は胸の奥にしまっておいた。時は流れ、すべてが昔の話になった」と語った。
彼は、「本当にあんなにも多くの愛を受けることになるとは思っていなかった。そして私が皆さんをあれほど失望させ、傷つけることになるとも本当に思っていなかった。あの頃は本当に若くて、怖いもの知らずで、無謀なほど自信に満ちていた。本当に愚かだった」と、デビュー当時を振り返った。
続けて、「約5年間活動して、その後の23年を、こうして皆さんと離れて過ごすことになった。ごめんなさい。もっと素敵な姿をお見せできず、どこかで“ユ・スンジュンのファンだ”と自信を持って言えないような現実を作ってしまったのは、すべて私のせいであり、私の至らなさゆえだ。ごめんなさい。本当に…」と、申し訳ない気持ちをあらわにした。
ユ・スンジュンは「ありがとう。私に多くのことを教えてくれて、分不相応なほどの愛と励ましをくれた皆さんがいてくれたから、今日もユ・スンジュンとして生きていられる」とし、「これから先のことはわからない。いつか必ずまた会えるその日を楽しみにしている」と、韓国への入国を願う気持ちも示した。
1976年12月15日生まれのユ・スンジュンは、1997年にデビューすると、『Gaui』『Me Me Me』『Passion』『Vision』『I Will Be Back』など数々のヒット曲や、様々なバラエティ番組で大きな人気を博した。
ソロ歌手として唯一無二の地位を築いたが、2002年に公演のため出国した後、アメリカ市民権を取得して韓国国籍を放棄したことで“兵役逃れ”疑惑が浮上。韓国の法務部はユ・スンジュンの入国を制限した。
その後、ユ・スンジュンはロサンゼルス総領事館に在外国民の滞在資格でビザの発給を申請したが拒否された。これを不服として取消訴訟を起こし、2023年11月に最高裁で最終勝訴したが、ロサンゼルス総領事館は依然としてビザの発給を拒否している。
現在に至るまで、韓国の地を再び踏むことは叶っていないままだ。
最近、ソウル行政裁判所・行政5部は、ユ・スンジュンがロサンゼルス総領事館および法務部を相手取って起こした「査証(ビザ)発給拒否処分取り消しおよび入国禁止決定不存在確認訴訟」の第1回弁論期日を開いた。
今回の訴訟は、2015年と2020年に続き、政府を相手取った3度目の行政訴訟だ。
ユ・スンジュンのデビュー28周年を迎えて残した文章全文は、以下の通り。
◇
1997.04.01
28年になりました。
一緒に過ごした時間があまりにも短くて残念です。だからこそ、より特別なのかもしれません。過去の思い出は胸の奥にしまっておきました。
時は流れ、すべてが昔の話になりました。成功しようと、カバンひとつだけを持ち、
両親からもらった400ドルをポケットに深く押し込んで、韓国行きの飛行機に乗ったあの日のことを、今でも覚えています。
あんなにも多くの愛を受けることになるとは思っていませんでした。
そして、私が皆さんをそんなにも失望させ、傷つけてしまうとは本当に思いませんでした。あの頃は本当に若くて、怖いもの知らずで、無謀なほど自信に満ちていました。本当に愚かでした。今思えば…。
約5年間活動して、その後の23年を…
こうして皆さんと離れて過ごすことになりました。ごめんなさい。もっと素敵な姿をお見せできず、どこかで「ユ・スンジュンのファンだ」と自信を持って言えないような現実を作ってしまったのは、すべて僕のせいであり、僕の至らなさゆえです…。
ごめんなさい。本当に…。ただただ、悔しさと心残りだけを残してしまったようで…。
けれど、あの頃をたまに思い出すと、なぜか笑みがこぼれるのはなぜでしょう?皆さんもそうですか?僕だけでしょうか?
ええ…時は過ぎて、皆さんも、僕も変わりましたよね。時の流れに勝てる人なんていないのですから。皆さんと一緒に過ごした、夢のような思い出だけにすがって生きているわけではありません。
だからといって、あの美しかった記憶を消すのは本当に難しいです。いや、消せないし、消したくもありません。ありがとう。
僕に多くのことを教えてくれて、分不相応なほどの愛と励ましをくれた皆さんがいてくれたから…。今日もユ・スンジュンとして生きていられます。
これから先のことは…わかりません。僕たちがこんなにも長く別れたままになるなんて思っていなかったように…。
でも諦めずに、誰が何を言おうとも、皆さんが覚えている、あの美しい姿で生きていきます。愛していました。今も愛しています。そしてこれからも愛し続けます。
いつかきっと、また会えるその日を楽しみにしています。そう信じて、夢を見ながら生きていきます。
カバンひとつを持って韓国に渡った、あのときの気持ちで…。
いつか、凍った雪が溶けて流れるように、凍りついた痛みの塊が溶けて流れていくその日が、必ずまた訪れることを祈ります。
愛しています。
(記事提供=OSEN)
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