トンイが王子を産んでから世子の争いが過熱した!

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一度は廃妃になった仁顕(イニョン)王后が王妃に復位したのは1694年の春だった。その頃、粛宗(スクチョン)が寵愛していたのが、側室の淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。ドラマ『トンイ』の主人公になった女性だ。

【関連】トンイは王宮に入ってきた経緯が何やら怪しい!

そして、仁顕王后の復位にともなって王妃から側室に転落したのが張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。彼女は淑嬪・崔氏に敵意をむきだしにした。

「あの女が殿下の寵愛を受けているなんて、絶対に許せない」

張禧嬪はそばに付いている女官たちに淑嬪・崔氏を見晴らせた。なんとか王宮から追い出す策略を見つけるためだった。

そんな張禧嬪がひどく落胆する日がやってきた。

それは1694年9月20日のことだった。この日、淑嬪・崔氏が粛宗との間に二人目の子を産んだのだ(最初の子は生後すぐに亡くなっていた)。それが後に21代王・英祖(ヨンジョ)となるヨニングンである。

粛宗は満面の笑みを浮かべ、お付きの者や医官に褒美として馬を贈っている。それほど喜びが大きかったのだ。

1688年に生まれたユン(生母は張禧嬪)と1694年に生まれたヨニングン。2人とも粛宗の息子だが、世子(セジャ/王の後継者)は先にユンに決まっていた。年長の者を立てるのは儒教社会では当然のことで、6歳の年齢差はことさら大きかった。

しかし、張禧嬪は決して安穏としてはいられなかった。いつ粛宗の気が変わるかわからなかったからだ。

そういう不安をぶつける相手が、張禧嬪にとっては仁顕王后だった。性格が優しすぎるのをいいことに、張禧嬪は何かと仁顕王后にきつく当たった。

いやがらせはひどくなる一方だった。張禧嬪は女官に仁顕王后の寝殿の窓に穴をあけさせ、中を覗いて見たことを周囲に言いふらすようにした。

ここまで張禧嬪が仁顕王后を愚弄したのは、王妃に復帰したいという気持ちが強すぎたためだ。すでに粛宗の寵愛を失っているのに、張禧嬪はあきらめなかった。

しかし、粛宗の気持ちも揺らいだ。

<世子はユンのままでいいのか。ヨニングンに変えるべきなのか>

粛宗の悩みは深くなった。このように、淑嬪・崔氏が粛宗の息子を産んだことで、後継者争いがとても激しくなったのである。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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