「実際、毎日毎日恋しいですよ。多くのサポーターの方々から、本当に温かな愛をいただいたんですから。特に、大阪は本当に故郷のような場所でしたし、今も大阪での生活に対する恋しさがあって、大阪で食べた料理が懐かしく思うこともあります。初めて日本に行ったときは自分にとって大きな挑戦でしたが、今思うと、日本に行ったことは本当に最高の選択でした」
―ガンバで特に長くプレーしたオ・ジェソク選手ですが、今も懐かしく思う大阪の料理はあるのでしょうか。
「お好み焼き、たこ焼き…それに焼きそばも好きでしたね。韓国でも何回か日本料理店で食事をしたことはあるのですが、やっぱり本場には敵いませんね。日本で本当にレベルの高い、美味しい料理をたくさん食べてきたので。どのお店に行っても惜しく感じるので、そういったところでも、日本のことが恋しく感じますね」
―仁川移籍後には、日本から仁川のユニホームを購入してくれたファンのために、オ・ジェソク選手自らユニホームや色紙にサインを書いたというエピソードが話題になりました。当時はどのような経緯で、サインを書くことになったのかが気になります。
「そもそも、日本からユニホームを注文してくださるとはまったく思っていなかったんです。それで、想像以上に多くの方が注文してくださったので、感謝の意味を何か表現できないかと思い、“サインを書いて送るのはどうか”とチームに提案して、あのような試みを行いました。日本のファンの方々も喜ばれたみたいで、とても嬉しく思っています」
―「日本からたくさんユニホームの注文があった」というのを、チームの担当から伝えられたのでしょうか。
「そうです。本当にたくさんの注文があったみたいで、200枚は超えたみたいですね。その一枚一枚にしっかりサインしましたよ。(日本からの大量注文は)クラブとしても初めてのことだったので、かなり驚いたらしく、どうすれば良いのかと相談されました。僕自身も初めての経験でしたが、日本のファンの方々の愛を改めて実感することができました」
―それにしても惜しまれるのは、日本を離れることになった背景です。長年在籍したガンバを離れるときもそうですし、その後の名古屋移籍。さらには、名古屋から契約延長のオファーがあったなかでも韓国復帰を決断したことなど、当時の心境について教えていただけますか?
「これは初めて話すことなのですが、ガンバ大阪で過ごした最後の6カ月間は本当に多くの出来事がありました。