日本メディアが福岡ソフトバンクホークスと“終身契約”した柳田悠岐について報じるなかで、過去に日本プロ野球で結ばれた長期契約に注目が集まった。
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その過程で、一時代を築いた“悲運の韓国人投手”についても言及された。
パワーと長打力を備え、“打撃の達人”と呼ばれる柳田は最近、所属するソフトバンクと7年40億円の長期契約を締結した。平均年俸は5億7000万円だ。
1988年生まれという柳田の年齢を考慮すれば、事実上、今回の長期契約はソフトバンクとの“終身契約”と見ることができる。長年の夢であったメジャーリーグ進出と、故郷である広島カープへの入団もあきらめた。
そんな柳田の7年契約は日本で大きな話題となり、多数のメディアが先を争って関連ニュースを報じた。そのなかには過去最長契約の歴史を振り返る記事もあった。
今も破られていない日本球界における過去最長契約の主人公は、“悲運の投手”と呼ばれる韓国のチョ・ソンミンだ。
チョ・ソンミンは高校時代から“怪物”と呼ばれた。150キロに迫る速球、フォークボールやシンカーなどの変化球を投げ、高校3年生だった1991年に、シンイル高校を鳳凰大旗(ポンファンテギ)全国野球大会(日本でいう甲子園)と黄金獅子旗(ファングムサジャギ)全国高校野球大会の2冠に導いた。
その後、高麗(コリョ)大学に進学したチョ・ソンミンは、1996年に日本の読売ジャイアンツと入団契約を結んだ。その契約期間は、なんと8年だった。
破格の待遇だった。巨人がチョ・ソンミンにかける期待が、どれほど大きかったのかを感じさせる年数だ。
入団2年目に11セーブをあげたチョ・ソンミンは、1998年に先発に転向して完投勝利を6回(完封3回)達成するなど、上半期に7勝(6敗)を記録して全盛期を謳歌した。
エースの座を掴みかけたが、同年7月23日に行われたオールスター戦で靭帯が切れる深刻な肘の怪我を負い、下り坂を転がっていくことになる。
彼の悲劇はそこからだった。
チョ・ソンミンは、さまざまな手術を受けて長いリハビリに入ったが、コンディションを回復することはできなかった。
プライベートでは2000年7月に、5歳年上の韓国女優チェ・ジンシルと電撃入籍。チェ・ジンシルは当時のトップ女優であったため、“世紀の結婚”と呼ばれた。2001年8月には、2人の間に男の子が産まれている。
しかし、わずか1年後、チョ・ソンミンは記者会見を開いて離婚を訴えた。幸せは長く続かなかったのだ。のちに明らかになったことだが、当時2人目の子供を授かった妻チェ・ジンシルに対して、チョ・ソンミンは暴行を働いていたという。
それからの落ちぶれようは、哀れなほどだった。2002年に巨人から退団し、韓国に戻って実業家に転身するも、ほどなく経営難に。プロ野球選手として再起を宣言するが、どの球団からも相手にされなかった。
夫婦間での裁判沙汰も続き、別居中だったチェ・ジンシルの家で暴力沙汰を起して警察に連行される事件もあった。
2004年にチェ・ジンシルとの離婚が成立すると、チョ・ソンミンは韓国球界に復帰したが、さしたる成績も残せないまま、2007年にひっそりと引退した。
悲劇は続く。2008年10月、元妻チェ・ジンシルが自殺したのだ。この元妻の死がチョ・ソンミンをさらに追い詰めていく。絶大な人気を誇っていたトップ女優の自殺の一因は、DVを働いていた元夫にもあるという理由から、「チェ・ジンシルを殺したのはお前だ」と罵られるようになったのだ。
さらにかつて事業をともに展開した義弟も自殺。チョ・ソンミンは四面楚歌となった。
結局チョ・ソンミンも2013年1月に、自ら命を絶つこととなる。当時の韓国メディアは彼の死を「チョ・ソンミンを苦しめたのは“チェ・ジンシルのトラウマ”」と結論づけていた。
柳田悠岐でも及ばない、日本球界で過去最長契約を結んだチョ・ソンミンだが、その人生はあまりに短く、悲しいものだった。
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