水泳が好きだ。才能もある。しかし、大会に出ればいつも4位で終わる。映画『4位』(2016年)に登場する若き水泳選手ジュノの話だ。
映画で母親は新しいコーチに子どもを預ける。新コーチは1位を確信する。 方法は乱暴だ。
ムチを振るって子供を殴る。ジュノの母親はコーチのムチを傍観する。アザだらけの12歳ジュノの体。だが、成績は出る。2位入賞。ところが、水中で自由を感じていたジュノは明るい顔で言う。 「4位で何か悪いんですか?」と。
かつて韓国は1位だけを記憶する社会だった。
スポーツだけでなく、社会のあらゆる分野が1位を目指して走った。トップになった人は羨望の対象として記憶されるが、その下の順位の数多くの人々はうなだれた。拍手ももらえなかった。
しかし、今は違う。女子バレーボール韓国代表は東京五輪を4位で終えたが、多くの人が彼女たちの挑戦に拍手をした。文在寅(ムン・ジェイン)大統領も「美しい挑戦だった。 試合ごとにすべてを出し切る姿に国民は自負心を感じた」とコメントを発表した。
【関連】なぜバレー女帝キム・ヨンギョンは無冠のバレー女帝だったか。その過去とは?
わずか10年前までは、金メダルこそ韓国の国格と地位を高めると思っていた。時代によって正しい言葉であり表現だったかもしれない。
しかし、今は違う。自分の限界に挑戦し、強い相手に向かって最善を尽くす姿は、それ自体にメダル以上の価値があり感動がある。陸上競技で倒れた選手が諦めずに完走する姿、敗者が勝者の手をあげる姿は、メダルがすべてではないことを示している。
今回の東京五輪では女子バレーボールをはじめ、韓国は様々な種目で4位だった。金・銀・銅のメダルなしで、手ぶらで帰ることになった。
しかし、人々が長く記憶する4位のシーンが多かった。
例えばウ・サンヒョク(国軍体育部隊)は走り高跳び決勝で2メートル35を超え、4位となった。 全力を尽くして跳んだが、たった2cmの差で首にメダルはかけられなかった。しかし、彼は“スマイルマン”のニックネームのように笑みを隠さなかった。毎瞬間、楽しそうに挑戦する姿だった。
「また挑戦すれば楽しみが訪れるはず」とにっこりと笑ったウ・サンヒョク。彼にとって4位は、次のステップのためのステップボードだ。 その飛翔を見守る多くの人々が彼の感情を共有した。
男子板飛び込みのウ・ハラム(国民体育振興公団)も4位だった。表彰台には進めなかったが、韓国飛び込み史上最高の順位を塗り替えた。
バドミントン女子ダブルス銅メダル決定戦では、韓国ペア同士で対決した。キム・ソヨン(仁川国際空港)&コン・ヒヨン(全北銀行)ペアが、イ・ソヒ&シン・スンチャン(仁川国際空港)ペアを破って3位となった。 試合後、同じ釜の飯を食べてきた4人の選手は熱い涙を流した。敗者は勝者を心から祝った。
近代五種でチョン・ジンファ(LH)はフィニッシュラインまで3位のチョン・ウンテ(光州広域市庁)背中を見て走らなければならなかった。
しかしチョン・ジンファは「ほかの選手でもないウンテの背中を見ながらゴールしたので気持ちが楽だった」と話した。 順位が決まった後、チョン・ジンファはチョン・ウンテを力強く抱きしめて祝った。目からは熱い涙が流れた。2人の選手は毎日15時間以上、一緒にトレーニングをした間柄だった。
4位といっても、みんなが同じ4位ではない。
6チームが出場した野球で韓国は4位だった。野球は国内最高の人気種目だ。今回のオリンピックでは金メダル2連覇を狙った。
しかし、銅メダル決定戦でカン・ベクホがダッグアウトでガムを噛んでいて問題になった。拙戦を繰り返した野球韓国代表の雰囲気を象徴する場面だった。
テレビ中継で解説していたパク・チャンホが激しく非難した。
「カン・ベクホの姿がチラッと見えたが、負けていても我々には見せてはならない姿だ。(負けていても)頑張らなければならない。最後までやらなければならない」と叫んだ。
しかし、野球韓国代表は意味のある4位ではなく、恥ずかしい4位でオリンピック出場を終えた。4位も4位次第だのだ。
前へ
次へ