「実名を明かすのは怖かったですが、もうこれ以上隠れていたくはありません」
韓国フィギュアスケート界で物議を醸した“セクハラ騒動”で一時は選手資格を失うも、再び資格を取り戻したユ・ヨン(20)は、慎重な様子でそう伝えた。
韓国では昨年5月、イタリア・ヴァレーゼで行われたフィギュアスケート韓国代表の合宿中にセクハラ行為などの騒動が勃発した。
そこでユ・ヨンは、同僚のイ・ヘイン(19)の性的羞恥心を引き起こす写真を撮影し、それを男子の後輩選手A氏に見せたという理由で、同年6月に大韓氷上競技連盟(以下、連盟)から1年間の資格停止処分を受けた。
ただ、これに対してユ・ヨン側が申し立てた懲戒効力停止の仮処分申請が、今年3月26日に裁判所によって認められ、ユ・ヨンは選手資格を回復することになった。
裁判所は、ユ・ヨンがイ・ヘインの身体を撮影した行為について、性的屈辱感や嫌悪感を引き起こす行為と断定するのは難しいと判断し、申請を認容した。
当初の処分通りであれば、ユ・ヨンは今年6月に資格停止期間が終了したとしても、代表に選ばれることはできなかった。連盟の代表選抜規定では、性暴力関連の不正行為で1年以上の資格停止処分を受けた選手は、代表の選考対象から除外されるからだ。
だが、今回の裁判所の決定で資格停止処分の効力が停止され、ユ・ヨンは2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪の代表選考に挑戦できるようになった。
そんななか、ユ・ヨンは4月9日に本サイト提携メディア『OSEN』の電話取材に応じ、セクハラ騒動の汚名をそそいだ心境を語った。
「裁判所の決定を焦る思いで待っていました。認容の知らせを聞いた瞬間、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。何より、また選手として競技ができることに安堵を覚えました。夢見る舞台に再び挑戦できることも嬉しかったです」
判決が出るまでの間、ユ・ヨンに過酷な時間を耐えなければならなかった。「2022年北京五輪以降、苦労して代表に復帰しましたが、資格停止によって大会に出場できない現実が非常に苦痛でした。スポンサーの支援も中断され、さまざまなアルバイトをしながら耐えてきました。ファンの応援のおかげで、諦めずに力を出すことができたと思います」と彼女は振り返る。
これまでメディア報道ではユ・ヨンの実名は出ず、「イ・ヘインの身体を撮影した匿名選手」としてのみ報じられてきた。
ユ・ヨンは「女性として、このような不名誉な事件で実名を明かすのが怖かったです」と率直に語りながらも、「でも、もうこれ以上は隠れずに、自分の話を直接しなければならないと思いました。ファンの皆さんが多くの応援を送ってくれて、裁判所も私がセクハラをしていなかったことを確認してくれて、(インタビューに臨む)勇気を出せるようになりました」と明かす。
裁判所がユ・ヨンの主張を認めた背景には、「セクハラを受けた事実はない」というイ・ヘインの嘆願書の存在が大きかった。
イ・ヘインは長文の嘆願書の中で、「ユ・ヨン選手が事実とは異なる誤解によって五輪に挑戦する機会を失うのは不当なことだ。すべてのアスリートにとって、誤った先例として残ることになる」と記した。
また、自身の法律代理人を務めたキム・ガラム弁護士をユ・ヨンに紹介するなど、ミラノ・コルティナ冬季五輪に向けて“最大のライバル”にもなり得るユ・ヨンを全力で支えたわけだ。
そんなイ・ヘインへ、ユ・ヨンは「本当に感謝しています」と心からの感謝を述べていた。
当面は選手生活に集中するというユ・ヨンは、「9月に開催されるチャレンジャー大会への出場を目標にしています。現在はショートプログラムを練習しています。フリープログラムは新しく構成するか悩んでいます」と今後について伝えた。
そして最後、「足りない部分のある私を応援してくださり、本当にありがとうございます。またリンクの上で良い姿をお見せできるよう、最善を尽くします」と、苦しい時期を支えてくれたファンへの感謝も口にしていた。
(記事提供=OSEN)
◇ユ・ヨン プロフィール
2004年5月27日生まれ。韓国・ソウル出身。身長165cm。大韓民国のフィギュアスケート選手。東南アジアで事業を展開する父親の影響で1歳の頃からシンガポールで育ち、フィギュアをするため2013年に母と韓国に帰国。2019-2020シーズンからシニアに参戦、デビュー戦となったGPシリーズ第2戦のスケート・カナダで韓国人女子選手で初めてトリプルアクセルを成功させた。オリンピック初出場となった2022年北京冬季五輪では5位入賞。“キム・ヨナの後継者”と呼ばれており、ユ・ヨン自身もキム・ヨナに憧れてスケートを始め、日本人コーチのもとで技量を磨いている。
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