『スポーツソウル』が創刊34周年を迎えた。決して短くない歳月が過ぎたことになるが、その間、肯定的な変化が多かった分野といえばK-POPだ。
K-POPは現在、アジア市場の席巻はもちろん、米ビルボード、英オフィシャルチャートのトップに立ち、世界の音楽市場を揺るがしている。創刊34周年を迎え、K-POPの歴史を振り返ってみた。
1980年代後半はフォークソング、ポップバラード、ロック、ダンスなど多様なジャンルが共存した時期であった。その時期を代表する歌手としては、現存する韓国最高の歌手といえるチョ・ヨンピルは欠かせない。
チョ・ヨンピルは『悲恋』『赤とんぼ』『見つからない鶯』『旅に出よう』など珠玉のヒット曲を次々と生んで、初めて“オッパ(お兄さん)部隊”と呼ばれる数多くの女性ファンを獲得した。
『私の心の宝石箱』『すべてが愛です』を歌った男性デュオ「ヘバラギ」、『行進』『それだけが私の世界』でロックの新しい風を起こしたバンド「トゥルグックァ」、デビューアルバムであり遺作『愛しているから』で韓国型バラードの新章を開いたユ・ジェハなどが、この時期を代表するアーティストだ。
他にもパク・ナムジョン、キム・ワンソン、「ソバンチャ」などによって、ダンス音楽も幅広く愛された。ロックバンド「ソンゴルメ」と「シナウィ」、チョン・ヨンロク、イ・ムンセらも大衆音楽をリードした。
1990年代の最大の変化は、“第1世代アイドル”の登場といえる。音楽は歌を聞くだけではなく、目で楽しむ時代に入った。ダンス、ヒップホップ、バラードも共存した。
まず「ソテジワアイドゥル」がブームを作り、爆発的な人気を集めた。ラップ、強烈なビート、ダンスが加わった『僕は知っている』『Come Back Home』などで、時代のアイコンとなった。いくつもの授賞式を席巻して、それが「H.O.T.」や「Sechs Kies」「SHINHWA」など別のアイドル誕生へとつながった。
キム・ゴンモは、ダンスとレゲエを組み合わせた『言い訳』で頭角を現わし、『スピード』『間違った出会い』などヒット曲を連発して国民歌手の一人になった。『翼を失った天使』の歌手グループ「Roo'Ra」、クールな歌唱力で愛された『イブの警告』パク・ミギョン、『クンタリシャバラ』のダンスデュオ「CLON」、本格的なガールズグループ誕生を知らせた「Fin.K.L」と「S.E.S.」の活躍も90年代だ。シン・スンフン、イム・チャンジョン、チョ・ソンモなどは正統バラードの系譜をつないだ。
2000年代に入り、BoA、RAIN、SE7ENなどの海外進出に成功した韓国歌謡は、アジアで注目を集めるようになった。単発的な人気ではなく、持続性のある関心を呼び起こす地盤を固めた。
以降、「東方神起」「少女時代」「KARA」「BIGBANG」など“第2世代アイドル”がバトンタッチに成功し、韓国歌謡が“K-POP”と呼ばれる別の名前を持つようになった。
2010年代後半にはSNS、モバイル動画プラットフォームが活発になり、K-POPはアメリカ、ヨーロッパにまで広がり始めた。
2012年、PSYは『江南スタイル』で米ビルボードメインチャートに入り、シンドロームを起こした。これはK-POPがビルボードの高い壁を超える出発点となった。
「BTS」「TWICE」「EXO」「Red Velvet」「BLACKPINK」らがリードするK-POPの人気は、もはやアジアに限定されない。アメリカ、イギリス、フランス、ブラジルなど全大陸にK-POPファンを誕生させた。
特に、世界の舞台を走るBTSの役割が最も大きかった。
BTSは「ビルボード・ミュージック・アワード」(Billboard Music Awards、「BMA」)で、2017年と2018年に「トップソーシャルアーティスト」(Top Social Artist)賞を受賞し、認知度を高めた。世界中に広がった布陣したファンクラブ「ARMY」の力も加わり、BTSは去る5月に行われた2019年のBMAで確固たる地位を築いた。
「トップソーシャルアーティスト」を3年連続で受賞するだけでなく、「トップデュオ/グループ(Top Duo/Group)」のトロフィーまで手にした。Imagine Dragons、Maroon 5、Panic!At The Disco、Dan+Shayなど世界的なアーティストとの競合で受賞した結果で、BTSの前人未到の業績が再び輝いた瞬間だった。
BTSの偉業は、さまざまな珍しい光景も生んだ。
BTSは去る5月4日の米ローズボールスタジアムを筆頭に、英ウェンブリー・スタジアムなどにつながる大規模なワールドツアーを進行した。6月7日のフランスツアーまで、約65万人の観客を集めた。そのほとんどが現地のファンで埋め尽くされたが、すべて韓国語の歌詞で歌う珍しい光景を作った。
またアメリカやイギリスのメディアは、BTSを「21世紀のビートルズ」と称し、先を競って関連ニュースを報じた。特にCNNは去る6月2日、「BTSはどのようにアメリカを襲ったのか」というタイトルの記事をインターナショナル版メイン特集記事で載せたりしている。
BTSによる経済効果が5兆ウォン(5000億円)という研究結果が出て、“BTS保有国”という新しい韓国のフレーズまで登場した状況だ。7人の青年たちは、K-POPのアイデンティティを超えて、文化使節として国家の品格まで高める成果を作っている。
以上のように、現在K-POPは世界的な地位を築いたが、“挫折”もあった。
BTSに先立って、BoA、「Wonder Girls」、RAIN、「2NE1」などもアメリカ音楽市場に進出したが、これといった成果を出せなかった。海外エージェントと契約を結んだり、徹底した現地化戦略を進めたりしたが、むしろ裏目だった。アイデンティティが曖昧で、音楽の特色とコンセプトが存在感を持たせられなかった。
韓国歌謡の特定のファン層は、1980年代チョ・ヨンピルに熱狂する“オッパ部隊”と呼ばれたファンたちによって初めて登場した。
1990年代のアイドルの登場は少女たちを熱狂させ、10~20代で構成されたファン層を生み、その影響力はますます大きくなり始めた。
2000年代までのファンたちが単純にスターに熱狂して盲目的に関心を注ぐ傾向にあったとするならば、2010年代に入ってファンはサポーターとしての役割だけでなく、所属事務所やアーティストの歩みを牽制する機能まで果たしている。
ファンがスターと所属事務所に社会的責任を要求する時代へと変化したのだ。
応援するスターが社会的に物議を醸したときには、ファンが連合して公式立場表明を要求する声明文などを発表している。スターに熱狂的な支持を送った過去のファン層とは、明らかに違う傾向だ。
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年齢層も多様になった。10~20代に限定されていたファン層は、30代を超えて中年層まで拡大され、巨大な市場を作った。ファン層が広がると、歌手の認知度を生かして製作されたグッズ(コラボ商品)、ゲームなど、さまざまなコンテンツも登場した。
スターたちの態度も変わった。
SNSや動画プラットフォームを通じたコミュニケーションが活発になり、スターとファンと日常を共有している。公式スケジュール以外で、どこで何をしているかをリアルタイムで会話したりもする。またスターたちは、自分たちを見るために会場を訪れたファンのために、プレゼントを用意することもある。
このように、以前に比べて距離の縮まったスターとファンの関係は、さらに良い影響を生んだ。ファンはスターの名義で寄付活動をするなど、温かい協力を広げたりもしている。
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