『虹プロ』成功の影には“暗黒時代”も? JYPの歴史は知れば知るほど面白い!

2020年09月19日 話題 #特集

日韓の共同オーディション『Nizi Project』(通称:虹プロ)から誕生したガールズグループNiziU(ニジュー)への熱い関心が続くなか、ソニーミュージックと共に同プロジェクトを運営したJYPエンターテインメントの存在も広く知られるようになった。

【写真】TWICEの「イタズラ」も甘んじて受け入れるJ.Y.Park氏

人気グループTWICEが所属していることはもちろん、代表を務めるJ.Y.Park氏が『Nizi Project』の過程で見せた誠実な人柄やカリスマ性もまた、日本で知名度が高まった要因といえるだろう。

JYPエンターテインメントはTWICEのほかにも、韓国のアイドルブームの火付け役となったWonder Girlsを筆頭に、missA、ITZYといった有名ガールズグループを輩出している。2PMやGOT7といったボーイズグループの活躍も目覚ましく、最近は俳優の育成にも力を入れている。

韓国では言わずと知れた超大手プロダクションだが、『Nizi Project』を通じてK-POPに興味を持った視聴者にとってはまだ知らないことも多いのではないだろうか。

(写真=NiziUの公式Twitter)NiziU

一時代を築いたシンガーソングライターの本気

代表プロデューサーであるJ.Y.Park氏は、そもそも90年代に一世を風靡したシンガーソングライターだった。ちなみに“J.Y.Park”は彼の本名である“パク・ジニョン”の別名義で、普段韓国では本名で活動している。

そんなJ.Y.Park氏が1997年、独立を機に設立したのが現在のJYPエンターテインメントのベースとなる「テホン企画」だ。

J.Y.Park氏は、テホン企画で新たなスタートを切るや否やプロデューサーとしての手腕も発揮した。

事務所の設立から間もなくしてデビューさせたチンジュは90年代を代表する女性歌手となり、1999年に誕生させた5人組男性グループgod(ジー・オー・ディー)は国民的な人気を誇るなど、その活躍は目を見張るほどだった。

その後、テホン企画は2001年にJ.Y.Park氏のイニシャルを取った「JYPエンターテインメント」に社名を変更。同年8月に韓国KOSDAQ(コスダック)市場に上場した。

上場によって勢いを増したJYPエンターテインメントは、2002年に歌手RAIN(ピ)、ボーイズグループNoel、2005年に歌手イム・ジョンヒと、現在もK-POP界のベテランとして知られる大物アーティストを続々とデビューさせている。

一躍有名プロダクションの仲間入りを果たしたわけだが、現在の地位を得るに至った“転機”といえば2007年だろう。事務所として初めてプロデュースしたアイドルグループWonder girls(ワンダーガールズ)のデビューは当時、世間に衝撃を与えた。

Wonder girls

80年代のレトロな感性を意識したデビュー曲『Tell me』は爆発的なヒットを巻き起こし、独特な振り付けを真似するファンや芸能人が後を絶たなかった。この現象はのちに「Tell meシンドローム」と呼ばれ、Wonder girlsはデビューと同時に“国民的グループ”としての地位を固めた。

ファンによるTWICEやNiziUのダンス動画がネット上に絶えずアップロードされる現在の状況を見ても、Wonder girlsがJYPエンターテインメント独自のカラーを作り出したことは明らかだ。

Wonder girlsの華々しいデビューが引き金となり、いつしかJYPエンターテインメントは韓国で“ガールズグループの名門”と呼ばれるように。輩出したガールズグループはいずれも各種音楽チャートで目覚ましい記録を叩き出し、韓国の主要授賞式ではその年の新人賞を総なめにしている。

一度は失敗に終わった「海外進出」

一方で、そんなJYPエンターテインメントにも“失敗談”はある。Wonder girlsのアメリカ進出が芳しくない結果に終わったことは、業界でも有名な話だろう。

韓国で絶大な人気を博していたWonder girlsは、その勢いで2009年にアメリカに進出。アジア系アメリカ人の間で知名度を獲得し、代表的なヒットソング『Nobody』の英語版は米ビルボードの「HOT100」チャートで76位を記録した。

これは韓国人アーティスト初の快挙だったが、以降Wonder girlsが目立った成果を上げることはなかった。

さらに言えば、Wonder girlsがアメリカで活動する間、韓国では少女時代やKARA、2NE1といった他プロダクションのアイドルグループが続々と頭角を現しはじめた。

Wonder girlsがそれまで築いた人気は他のグループに分散され、結果的にJYPエンターテインメントは自らが作り出したアイドルブームの波に乗り遅れてしまったのだ。

とはいえ、Wonder girlsのアメリカ進出を機にK-POPの知名度が高まったことは確かだ。

前述の2NE1は2011年以降世界的な人気が高まり、翌年にはワールドツアーも行っている。歌手PSYの『江南スタイル』が米ビルボード「HOT100」で2位を記録したのもこの時期で、Wonder girlsのアメリカ進出前と後では、世界の音楽市場においてK-POPそのものの立ち位置が変化していることがわかる。

もっとも、結果的にTWICEをはじめとした所属アーティストが世界でファンを抱えていることを踏まえると、JYPエンターテインメントは当時の“失敗”を十分に取り戻しているといえる。

(写真提供=JYPエンターテインメント)TWICE

紆余曲折を経て超大手プロダクションとしての地位を固めたにも関わらず、常にチャレンジ精神が尽きないのもJYPエンターテインメントのすごいところだ。

先に挙げた『Nizi Project』は「海外で直接人材を育成・プロデュースしてグローバルなグループを作る」というJYPエンターテインメントの大きな挑戦であり、これが成功すればK-POPのグローバル化はいよいよ本格的なものになるだろう。

NiziUは正式デビューを来る11月に控えているが、現時点の熱狂ぶりを見るとそれほど不安要素はなさそうだ。

はたして、『Nizi Project』以降K-POP界はどのように変化するのか。JYPエンターテインメントが刻む“新たな歴史”からは、今後も目が離せそうにない。

(文=姜 由奈)

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