マルチタレントとして活躍したユ・チェヨンさんがこの世を去って、今日で11年が経った。
ユ・チェヨンさんは2014年7月24日、40歳の若さで亡くなった。
故人は1988年に雑誌モデルとして芸能活動をスタート。1989年には音楽グループ「プンスドゥル」として1stアルバム『Rock 'n' Roll Go』を発表し、歌手としてもデビューを果たした。1994年には男女混成グループ「COOL」の初期メンバーとして本格的に活動を展開したが、1stアルバムを最後に脱退。その後、ユーロポップ調の混成グループ「US」として再デビューし、人気を博した。
「US」解散後は1996年からソロアーティストに転向。剃髪姿という大胆なコンセプトでも注目を集めたほか、『Emotion』では韓国におけるテクノダンスブームの火付け役となった。しかし、3rdアルバムの制作中に作曲家らに2億5000万ウォン(約2500万円)相当の詐欺被害を受け、音楽活動は中断。苦境に立たされたユ・チェヨンさんは俳優業へと活動の場を移した。
『夫婦平等パンチョギ家族』(00)、『いつか楽園で!』(04)、『ラブ・レーシング』(08)、『コーヒーハウス』(10)、『きらきら光る』(11)、『ファッション王』(12)など、多くの作品で端役・助演として存在感を発揮。バラエティ番組でも活躍し、“マルチエンターテイナー”として幅広い活動を見せた。
2008年には1歳年下の実業家と結婚。2011年に所属事務所を移籍して以降は露出が次第に減っていったが、2013年にはアルバム制作費を調達するため、バラエティ番組やラジオ番組などに再び出演していた。
数々の困難を乗り越えてきたユ・チェヨンさんだったが、2013年10月に胃がん末期と診断され、開腹手術を受けるなど本格的な闘病生活に入る。2014年7月21日には「病状が急変した」と報じられ、彼女が胃がんと闘っていた事実が初めて広く知られることとなった。
手術は受けたものの症状は悪化し入院。前月までラジオ番組のパーソナリティを務めていたこともあり、突然の知らせに多くの人々が衝撃を受けた。番組の制作陣も「最近になってようやく病状の深刻さを知った」と驚きを隠せず、回復を祈っていた。
芸能界の仲間やファンからは回復を願う声が相次いだが、ユ・チェヨンさんは7月24日、惜しまれつつ静かに息を引き取った。夫のキム・ジュファン氏をはじめ、21日から病室で付き添っていたキム・ヒョンジュ、同日午前に見舞いに訪れていたイ・ソンミ、パク・ミソン、ソン・ウニらが最期を看取ったという。所属事務所は「夫と家族が最期まで寄り添った。残念ながら“メッセージ”は残せなかったが、明るかった彼女の生前の姿を、皆さまの心に長く留めていただけたら幸いです。ユ・チェヨンさんのご冥福を心よりお祈りいたします」とコメントを発表した。
突然の訃報に芸能界は深い悲しみに包まれた。「COOL」でともに活動したイ・ジェフンは音楽番組に出演した際、「最近、一緒にCOOLを結成したユ・チェヨンさんが天国に旅立ってしまった」と涙を流し、「きっとどこかで誇らしく見守ってくれているはず」と語った。女優キム・ヒョンジュも、翌年のドラマ『家族なのにどうして』終了後のインタビューで「私が暗いトンネルから抜け出せたのはチェヨンお姉さんのおかげ」と述懐し、「とても会いたいし、またあんな友人に出会えるだろうか。感謝しているし、短い時間しか一緒にいられなかったことが本当に惜しい」と胸の内を明かした。
特に夫のキム・ジュファン氏は、ユ・チェヨンさんの死後も毎年、ファンサイトに彼女への手紙を投稿している。昨年2月には「君が好きだった雪がたくさん降ったね」と綴り、ファンから「ずっと忘れない」というメッセージが寄せられると、「うちのチェヨンを大切にしてくださったそのお気持ちにとても感謝しています」「私が生きている限り、決して忘れません」と応じ、多くの人々の胸を打った。
(記事提供=OSEN)
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