ADORのミン・ヒジン代表がまたもや自己矛盾を露呈した。
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憔悴した1カ月前の記者会見とは異なり、きれいで落ち着いたトーンだったが、経営者のイメージをはっきりと示そうという意図が全体的に感じられた印象だ。
優れた話術で自分のイメージを作る過程で、「私だけが偉くて正しかった」という墓穴も掘った。相手の過ちは浮き彫りにするものの、自分の過ちは寛大にやり過ごした。
道徳的な謝罪の一言もなかった。うんざりする戦いを止めて本業に忠実であろうと和解を提案したが、彼女の利己的な面も見え隠れした。それだけに、真正性のある和解ジェスチャーだったのかは疑問に思う。
5月31日、ソウル中区(チュング)の韓国プレスセンターで開かれた記者会見場に現れたミン・ヒジン代表の顔は、勝者の余裕にあふれていた。
あまりにも堂々としていた。一日前、裁判所が解任を棄却した判決で勝訴した余裕と受け止めていいだろう。裁判所は背任を模索した証拠はあるが、会社に損害を及ぼしたわけではないので背任を実行したと見ることはできないと判断した。そのおかげでミン・ヒジン代表は、ADOR代表取締役の職を維持することができた。ただ、ミン・ヒジン代表側の社内理事2人は解任が可決されている。
韓国の音楽界では、今回の判決はミン代表の判定勝ちに過ぎないという意見が広まっている。裁判所は背任は認めなかったが、背信的行為があったことを認めているためだ。
一部では、HYBEが疑惑究明をあまりにも早くかけたために背任が起きなかったのであり、ミン・ヒジン代表に背任の意図がなかったという意味ではないと解釈している。背任が“できなかった”のであって、背任疑惑が“なかった”ということではないということだ。
それで「背信的行為」という表現が出たわけだが、ミン代表は「背信」は重要な問題ではないと一蹴。互いに信義が崩れたためだとし、双方に責任があったというのが彼女の要旨だ。
ただ、裁判所の意見を尊重することを望むなら、ミン・ヒジン代表側も自ら振り返る必要がある。
5月31日のHYBE臨時株主総会後、ADOR理事会はミン・ヒジン代表1人と3人のHYBE側社内理事で理事会を構成。ADOR理事会においていわゆる「不便な同居」が始まった。
今後はミン・ヒジン代表が立てた計画通りに業務が進められるかどうかも未知数だ。世論の激しい批判が予想されるが、HYBEが状況によっては理事会を通じてミン・ヒジン代表を解任できる刀を手にしたためだ。
理事会を握ったHYBEと世論を背にしたミン・ヒジン代表が、それぞれの武器を持って法廷攻防を続けることは意味がないとしたミン・ヒジン代表はHYBEに和解を提示した。
しかし、謝罪はしなかった。手は差し出したが、HYBEを見下す態度が明らかになった。あまりにも露骨で、HYBEを支持するファンたちは憤慨している。
ミン・ヒジン代表はこれまでの争いの過程で、BTS、ILLIT、LE SSERAFIMなどの関係者やファンが受けた傷について「互いに同じように傷ついた。すっきりと今まで戦ったことは忘れて、ゼロから始めよう」と話した。
和解を提示する立場としては相応しくない発言だと言えるだろう。相手は傷が癒えていないのに、仲直りができるはずがない。ミン・ヒジン代表は「エンターテインメント産業は人の感受性を理解できなければならない」としながら、自身から傷ついた人々の心は無視したのだ。
いくら会社が収益を創出するための空間だとしても、信義が粉々になった状況では業務に支障をきたすしかない。
「信義を破ったことが双方間の過失」とミン・ヒジン代表は言ったが、彼女が先にHYBE役員陣への悪口と侮辱など過激な表現で他のアーティストたちを攻撃した部分においては、低姿勢を取るべきであった。
いくら自身の正当性を防御するために出た言葉だとしても、誰かが痛みを感じるならば、彼女が言う「大人の態度」で成熟に対応することが、彼女がすべき一貫した態度だろう。
しかし、HYBEに対しては頭をもたげた。「大人の態度」を強調するだけで、自ら大人らしい姿を見せようとはしなった。背任罪から脱したという勝利に酔いしれた、イメージメイキングだけがうかがえた。
「背任を模索した証拠が明らかだ」という判決が下されただけに、HYBEの不満は依然として残っている可能性がある。
一般的に、誤解をした側に過ちがあり、誤解するような行動をした側も責任を免れない疎通ができなかったのなら、お互いに一歩退いて対話すれば良い。にもかかわらず、自分の主張を少しも曲げようとしないミン・ヒジン代表の姿は、本当に和解が目的だったのかという疑問が生じる部分だ。
ミン・ヒジン代表の言葉通り、喫緊の処理しなければならない数多くの業務を処理するためには、HYBEの支援が必要だ。あれほど声高に叫んだNewJeansのビジョンのために、もっと低い姿勢が必要だった。
ミン・ヒジン代表はお金を放棄すると言ったが、自己愛は放棄しなかった。経営者としてのイメージを備えていたとしても、自己矛盾を避けることはできなかった。
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