天野純の蔚山現代が17年ぶりKリーグ制覇。W杯の悪夢から「優勝監督」として復活したホン・ミョンボ監督

以後、韓国の年代別代表で指導者経験を積み、実績を積み重ねてきた。

「スター出身の指導者は成功しにくい」という俗説を覆すように、2009年U-20ワールドカップ・ベスト8、2010年アジア大会銅メダルと結果を残し、2012年ロンドン五輪ではU-23代表を率いて韓国サッカーに史上初の銅メダルをもたらした。

その後、2014年ブラジルW杯本大会まで残り10か月の中、「自意半分、他意半分」で韓国代表監督に就任したが、グループステージで敗退し、初の挫折を経験した。

ブラジルW杯でグループステージ敗退となり、ソン・フンミンを慰労するホン監督

ブラジルW杯では成績への批判だけに帰結しなかった。選手選抜に関する議論から根拠のないデマ、一部のネットユーザーからは人身攻撃も受けて大きな傷を負った。

以後、中国リーグでしばらく指揮を執ったホン監督は、2017年から2020年まで韓国サッカー協会の専務理事職を引き受け、勝負の世界から一旦、身を引いた。

2020年末、蔚山現代の前任者だったキム・ドフン監督がチームを去った後、新指揮官候補としてホン監督は早々に言及されていたが、ブラジルW杯で大きな傷を負った彼が「現場カムバック」をするかどうかは未知数だった。

ホン監督自身も当初は迷ったそうだが、かつて目標をともにした選手たちと再び挑戦したいという、指導者としての純粋な情熱が彼を動かした。

蔚山では、韓国代表監督時代から知るイ・チョンヨンにキャプテンを任せ、コミュニケーションを活性化させた。

蔚山は昨年まで3年連続で全北現代に逆転優勝を許してきた。問題解決のため、ホン監督が選手に求めたのは「チームへのロイヤリティ」と「責任感」だった。

主力や外国人選手であっても、不誠実な態度を示せば容赦なくチームから切り離した。

また、Aマッチ期間中、韓国代表に選出されずトレーニングに集中した選手を次の試合で起用するなど、主力とサブで区分けせず「ワンチーム」に生まれ変わることに努めた。 

ホン監督は蔚山で「マネージャー型指導者」としても生まれ変わった。トップチームの戦術や結果だけにとどまらず、選手団とフロント、ファンが一つになってすべての面で最高になる「持続発展するリーディングクラブ」を強調した。

ユースの有望株をトップチームに合流させて経験値を積み上げ、映像チームにロッカールームを開放してチームのリアルな現場状況を共有させた。

蔚山はこれを通じて、映像ドキュメンタリー『青い波』をローンチし、ファンから大きな支持を集めた。悪夢のトンネルを抜け出して未来志向的な「優勝指導者」に生まれ変わったホン監督は、来年も蔚山を率いてより良い進取的な未来を描くだろうと期待されている。

(写真提供=韓国プロサッカー連盟)

「ホン・ミョンボ10年周期説」は2022年にも立証された。

1992年がスタートだ。同年に浦項(ポハン)スティーラースでプロデビューし、優勝はもちろん、Kリーグ年間ベストイレブンとMVPを席巻した選手ホン・ミョンボは、10年後の2002年には日韓W杯でベスト4進出の原動力になった。

そして、2012年ロンドン五輪では監督として銅メダルを獲得。あれから10年を過ぎた2022年10月、今度は蔚山に17年ぶりのKリーグ優勝をもたらした。

ホン監督は「コーチングスタッフと選手たちが素晴らしいことを成し遂げた。今シーズン開始から1位を守り続けて優勝したことはすごいこと」とし「今後は蔚山がすべての面でKリーグをリードするチームにしたい」と堂々と話した。 

Kリーグ優勝決定後、選手から胴上げされるホン監督

自身の成功10年周期説には「2032年に何をしようか考え中だ」と冗談を言いながら、「偶然そのような結果が出たが、選手に感謝するだけだ。今年も一生懸命プレーしたが、蔚山の選手たちが良いサッカーを表現してくれて、監督としてさらに嬉しい」と感激していた。

【写真】「ばかげたプレー」元浦和レオナルドが頭突きで一発退場

【写真】韓国王者にサポーターが「消えろ」「出ていけ」の怒号…一体なぜ?

【写真】韓国人選手、相手と無礼な“握手拒否”

前へ

2 / 2

次へ

RELATION関連記事

RANKINGアクセスランキング

PHOTO写真

TOPIC「BTS」特集