かつて市立船橋高校の10番を背負い、“市船のスーパーエース”と呼ばれた石田雅俊。
Jリーグで京都サンガF.C.、SC相模原、ザスパクサツ群馬、アスルクラロ沼津に在籍した27歳のMFは、2019年から韓国Kリーグに進出。安山(アンサン)グリナース、水原(スウォン)FC、江原(カンウォン)FCを経て、現在はKリーグ2(2部)の大田(テジョン)ハナシチズンでプレーしている。
石田は昨年10月、とある発言が大きな話題を集めた。当時、ハットトリックを達成したリーグ戦のヒーローインタビューで、通訳に頼らず自らの韓国語で「これまでのサッカー人生を振り返ると、自分は敗者だと思っています。それでも、こうして人生を変えられる試合がいくつもあります。いずれにしても、昇格のために人生を懸けます」と言い放ち、国内で大きな反響を巻き起こしたのだ。
ヒーローインタビューで飛び出た「敗者」発言で、一躍時の人となった石田。その注目度に負けず、昨季は大田でプレーしたシーズン後半に15試合9ゴール1アシストを記録し、日本人初のKリーグ2年間ベストイレブンに選ばれるなど、圧巻の活躍を披露した。
それから半年以上が経ち、今季リーグ戦で22試合7ゴール4アシストを記録中の石田は、どんな思いで4年目となる韓国生活を過ごしているのか。そこで今回、韓国・大田で石田と会って単独インタビューを実施した。
前後編でお届けする石田との一問一答。本記事では前編として、石田のKリーグでの近況についてお送りする。
―韓国では、「自分はサッカー人生の敗者」と話したインタビューの反響が今も根強く残っています。当時語った「昇格に人生を懸けます」という言葉が横断幕としてスタジアムに掲げられただけでなく、ネットニュースでは石田選手が取り上げられるたび、“人生を懸ける”、“敗北者”といった表現が見出しに付いています。ご自身としても、これほど反響が続くと思っていましたか?
「もう半年以上も前のことですし、完全に忘れられるだろうと思ったのですが、正直、これほどまで反響が続くとは考えもしなかったです。ありがたいことではありますが、自分の実力以上にインタビューが先走りしてしまった印象がありますね」
―昨年10月にオンラインでインタビューを行った際には、「裏切ってしまった指導者が二人いる」として、市立船橋高校時代、ザスパクサツ群馬時代の指導者に「自分が変わった姿を見せたい」ということを語っていましたね。
「市船時代の指導者は、現在ジェフユナイテッド市原・千葉U-18の朝岡隆蔵監督。群馬時代の指導者は、ガンバ大阪ユースの森下仁志監督です。今は2人とも高校年代を指導されていますが、どちらも情熱的な方で、たまに連絡も取っています。森下監督は昨年、ベストイレブンに選ばれたときに連絡をしてくれて。それはめちゃくちゃ嬉しかったです」
―昨季はリーグ戦を2位で終え、1部11位との入れ替え戦にまで進みました。相手は当時、石田選手のレンタル元だった江原FC。大田はホームでの第1戦を1-0で勝利するも、アウェーでの第2戦は1-4と敗れ、1部昇格を逃してしまいました。改めて、当時の入れ替え戦を振り返っていかがでしょうか。
「あのインタビューによって一気に名前だけ有名になって、注目度も余計に上がってしまいましたが、それでも、その勢いもあって得点も多く決められて、ずっと上手く事が進んでいました。韓国のサッカーファンも、誰もが“大田が昇格する”と思っていたはずです。ただ、最後の入れ替え戦で江原FCに大敗してしまい、終わり方だけが最悪のシーズンになりました。“終わり良ければすべてよし”なんて言葉もありますが、まさにその逆の形で終わってしまいました。
でも、試合中は意外と冷静でした。第1戦を勝利して、第2戦でもアウェーゴールを決めてリードを広げたはずが、その後5分間で一挙3失点。当時は“こういうことも意外にあるんだな”と思いました。僕は“流れ”とかいうそういう言葉が好きじゃないですし、サッカーはそんな酔狂なスポーツではない。最終的にゴールが入るか、入らないかという物理的な問題なので、運とかそういう問題ではないと思っています。だからこそ、今振り返ってもまったく不思議な結果ではない。実力面では拮抗していたとはいえ、正直、チームや個人としてはまだ足りていなかったと思います」
―石田選手は第1戦で決勝ゴールをアシスト。第2戦ではフル出場していました。自身のプレーはどう評価していますか。
「当時は2試合ともプレーの強度が出なかったんですよ。原因を細かく分析すると色々ありますが、やはり(11月のプレーオフから12月の入れ替え戦まで)間隔が1カ月空いてしまったことや、韓国の12月がかなり寒かったことが挙げられます。あとは、試合の1週間前に咳が出るようになって、その影響かはわかりませんが、2試合とも心肺機能的に苦しかった印象はあります。緊張感もあったかもしれませんが、自分が考えている以上に身体が上手く動きませんでした。パフォーマンスがそこまで悪かったわけではないですが、何か突き抜けられない感覚があって、もどかしさの残った2試合でした。
でも、結局はあれが実力といえば実力ですよね。僕のイメージとしては、もっと前への推進力を持ってプレーしたかったのですが、相手に警戒されたり、消されたりした部分もあって。色んな問題がありますが、“(実力を100%)出し切れなかったんじゃないか”という後悔はあります」
―試合後には江原FCのチェ・ヨンス監督と日本語で話したそうですね。チェ監督は現役時代、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)や京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)、ジュビロ磐田でプレーされていました。
「チェ・ヨンスさんが日本語で“お疲れ”、“頑張ってくれよ”とか、あとは“なんで江原出たんだよ”みたいな感じで、笑いながら話しかけてくれました。チェ・ヨンスさんは僕が幼稚園の頃にジェフ千葉でエースだった選手ですし、当時、地元でジェフの試合を観に行ったときにたくさん活躍されていたので、そのような方と大きな舞台で戦えたことはとても光栄に思いました」
―シーズン終了後には日本に帰国したとのことですが、コロナ禍で初めて日本に帰ってみていかがでしたか。
「2~3週間程度でしたが、久しぶりに帰ることができて良かったです。韓国にいるときも日本に帰る夢をよく見ていたので、それだけ日本に帰りたかったんだなってつくづく実感しました。それに、韓国での生活も長くなりましたが、やはり日本に帰ると落ち着くな、とも。日本では友達と会ったり、トレーニングも軽くしたりしていました。家族は(大田が1部に)昇格できなかったことを知っていたので、“惜しかったね”、“残念だったね”と話してくれました。
ただ、昨季にシーズン通してあれだけ上手くできたのに、昇格できなかったことを思うと苦しい部分もありました。正直、オフの間も(昇格失敗の)ダメージは大きく残っていて、かなりきつい思いもありました」
―オフの期間が終了し、新シーズンに向けてはどのように準備を進めたのでしょうか。
「新シーズンに向けて気持ちを切り替えたつもりではいました。ただ、オフを終えて冬季キャンプに合流しようとした段階で、隔離の問題が生じてしまい、チームとしてはもちろん、個人としてもかなり始動が出遅れてしまいました。
というのも、冬季キャンプの時期にKリーグ全体で新型コロナ感染が流行ったときがあったんです。そのあおりで大田でも感染者が出て、全員が強制隔離になりました。そこで、自分は日本から韓国に戻ってちょうど隔離が終わったタイミングだったので、せっかく入国後の隔離が終わったと思ったら、今度はチームの隔離が始まってしまったんです。
隔離が連続したことで、開幕までにコンディションを上手く作れませんでした。それに、一人でずっと部屋にいると、昨季の終わり方を思い出して少し落ち込んでしまうというか。メンタル面も開幕に合わせられませんでした。
結局、ベストより少し体重が多い状態で開幕戦を迎えてしまって。その試合で自分は前半途中から出場したのですが、当時は身体が仕上がっていなかったこともありますが、気持ちも全然入らず、まったく動けませんでした。チームとしても0-2で負けてしまうという、良くないスタートになってしまいました。
それで、開幕戦を終えてから“これはやばい”と思って、目が覚めました。昨季は終わり方こそ良くなかったとはいえ、シーズン中は活躍できていたので、今季も引き続き行けるという感覚はあったんです。身体の準備が万全でなくても、感覚的にしっかり頭を使ってサッカーをできれば、多少は上手くプレーできると思っていたのですが、やっぱり全然ダメだったので、準備不足を痛感しました。そこで一つ、気持ちを切り替えることができたのですが、結局のところ、身体の準備も心の準備もまったくできていませんでした」
―大田も開幕4試合で1分3敗の未勝利が続きました。やはりチームとしても、開幕前の隔離は大きな影響があったのでしょうか。
「おそらく、選手全員が準備できていなかったんだと思います。僕も最初の2~3試合で特にそのことを痛感して、準備がどれだけ大事なのかというのを気づかされました。自分は今年で27歳になりますが、この年齢になって、改めて準備がすべてであることを実感しました」
―年間ベストイレブンにも選ばれた昨シーズンの活躍もあって、石田選手に対するマークも今まで以上に厳しくなったのではないでしょうか。
「それはあると思いますが、あまり大きくは変わらないですね。そもそも、2年前にプレーした水原FCでもある程度活躍していたので、昨季からかなり警戒されていたんです。韓国のチームは1部や2部関係なく、相手に対する分析をしっかりするので、僕もプレーの特徴を基本的に抑えられていました。韓国には詳細に分析して、相手の良さを消すように対策を組むチームが多いので、その点で苦しむ試合は今年もありますね」
―そのような相手の綿密な分析や対策に対して、石田選手はどのように打開しようと考えていますか。
「相手の対策に対していかに自分がそれを上回れるか、という“対策の対策”を考えるのですが、最近は突き詰めていった結果、いくら対策されてもあまり関係ないな、とは思っています。展開のなかで瞬間的にマークが外れることはありますし、1トップのストライカーで、いくら対策されていても20点を取る選手はいますよね。自分は1トップではなく、中盤の選手ではありますが、その部分はしっかり学んでいます。その部分を上手くリンクさせながら、“こういう瞬間にマークが外れるんだな”というのを頭の中ですべて理解しています」
―前回のインタビューでは自己分析を徹底的に行っているとおっしゃっていましたが、今も続けているのでしょうか。
「自己分析は常に続けています。ただ、ある程度分析し尽くしてしまって、2年前にクリアしたはずの課題が今回も課題として出た、というようなことがありました。自己分析が1周も2周も回ってしまったような感じで、“この部分が改善しきれていない”、“自分にもう限界が来たかもしれない”と思ってすごく絶望したことがありました。それだけ自分のことを突き詰めた結果なんだと思いますが。
それに、考えすぎも良くないと思うようになりました。元々、徹底的に自己分析をして、色々な約束事をすべて頭の中に入れて試合に入るのですが、その約束事が全然できない試合もありますし、何も考えずに臨んだ試合の方が、逆に動きが良かったりもするので。そういうところも面白いなと思って、あまり考えすぎない方が良いかもしれないと感じるようにもなりました。
僕自身、元々ネガティブ思考の人間で。今はそこまでネガティブでもないですが、昔はつい考え込んでしまったり、ネガティブ思考になってしまったりする人間で、今もたまにその悪い癖が出てしまいます。でも、最近はその“落ち込む時間”もいらないと思うようになりました。今までは“自分、孤独だな”と思って落ち込むこともあったのですが、それが必要ないって思いました。そんな落ち込んでいる時間はない、例え落ち込んでいる自分がいても常に行動していよう、と。落ち込むぐらいなら何も考えなくても良いと思って、個人的にレベルの低い悩みは、今年はもうしないように決めました。
なので、いくら“あのプレーが上手く行かなかった”といっても、落ち込む時間をゼロにしようという思考に変えました。そうすると、サッカー選手としてというより、一人の人間として幸福度が上がる感覚があるんです」
―Kリーグ2は今季から金浦(キムポ)FCが参入したことで11チーム体制となり、リーグ戦の試合間隔が中2~3日のときもあれば、中7日と大きく空くときもあるなど、複雑な日程となりました。こうした面も、コンディション調整に影響を及ぼしているのでしょうか。
「それも多少ありますね。あとは、今季から交代枠が5枚になったのですが、監督が基本的に前線を全員代える思考を持っているので、それによって90分出場した試合がほとんどなくなりました。これが自分としてはかなり難しくて、正直、90分出られれば1ゴールできる自信は持っているのですが、60分程度で代えられるとなると、“これでは点数が取れない”と思って。であれば、前半のうちにもっとペースを上げないといけないのかなど、その難しさがあります。ここまで7ゴールを決めていますが、それでもたった7ゴール。僕の理想からすると、出場時間を含めてまだまだ物足りないなと思っているので、そのプレーの表現力の部分をもう一度変えようと思っています。
逆に、攻撃陣が全員途中で交代させられるのであれば、前半から2ゴール決めるぐらいの意識でプレーした方が良いと思いました。感覚的にも後半に体力が落ちる感覚は正直ないですし、体力がなくなったらなくなったで、別に交代したら良いと思うようになりました。そう考えると、やっぱりもっと前半勝負でプレーするべきだとは思います」
―シーズン序盤の3月中旬には、石田選手が新型コロナに感染したというニュースもありました。
「そこでまた隔離になってしまいましたが、なるべく落ち込まないようにはしました。感染した当時はチーム内でも感染者が複数いた状況なので、“これはコロナだな”と思って検査したら、やっぱり陽性でした。ただ、そこから回復してチームに復帰し、2日間の練習を経て次の試合でハットトリックを決めたので、うまい具合に修正できたと思います」
―その復帰戦となった慶南FC戦で、自身2度目のハットトリックを達成しました。前半30分までに3ゴールを決めましたが、あの試合を振り返ってみていかがでしょうか。
「正直、あの試合は5点決められましたね。ただ、ハットトリックできたのは最初のゴールが決まったことが大きくて、一発シュートを打ったら相手のキーパーに弾かれると思ったのですが、結果的に入ってラッキーでした。なので、最初のゴールが入っていなければ0点で終わった可能性もありますし、また違う展開になっていたと思います。無得点に終わる可能性もあった試合が、1点目がたまたま入ったことで、その後も勢いで2点取れた。このようなちょっとした差で試合は大きく変わるんだなと思いました」
―今シーズンの大田の調子や雰囲気はいかがでしょうか。
「チームの雰囲気はかなり良いですね。すべての選手が結果を出すので、毎試合毎試合で主役が変わる、みたいな。そういう状況もあって、ここ最近は自分が途中出場からプレーする役目になっているところもあります。でも、チーム全員が活躍しているのは事実なので、そこは自分も受け入れなければならないと思っています」
―大田を率いるイ・ミンソン監督はどんな監督でしょうか。以前には、記者会見の場で「マサは良いときと悪いときの差が激しい」と、選手のパフォーマンスについて厳しく指摘したこともあります。
「普段はとても優しくて、選手との距離もかなり近いタイプの監督です。僕にも冗談を言ったり、肩を組んできたりなど、スキンシップの多い人です。ただ、練習になるとすごく厳しくなって、しっかり雰囲気を引き締めます。韓国だと緩い雰囲気のまま練習するチームがよくありますが、監督は練習から高い強度を求める人ですね。
監督の指摘は、的を射ていると言えばそうかもしれないです。自分としても、エネルギーをプレーでハッキリ出せている試合もあれば、そうでない試合があるのもわかっていて。当然、試合によっては相手に良さを消されてしまう展開もありますし、自分の心がいくら整っていても活躍できない試合展開もあるので、そういったときに、客観的な評価で“マサどうしたんだ”と思われるようなことはあると思います。
ただ、僕としても、そんな試合展開のなかで一つ山場を越えられるような表現力をいかに発揮できるか、というのはよく心がけています。ここ数年は毎年どこかのタイミングで爆発していて、昨年もシーズン終盤の13試合で9ゴールしましたし、初めて韓国に来た3年前の2019年も、シーズン後半の13試合で9ゴールを決める活躍をしました。よくわかりませんが、シーズン後半の13試合で9ゴールを決めるという微妙な爆発力があるので、今季もどこかのタイミングでその爆発が来ないかと考えています」(つづく)
(取材・文=姜 亨起)
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