「最初は、遊んでやれないからやりたいことをやりなさいという考えでアーチェリーをさせました」
韓国アーチェリー界に彗星のごとく登場した“高校生弓手”キム・ジェドク(17・慶北一高)は、小学生時代から頭角を現した天才だ。小学校時代には国内大会を総なめにして、中学生だった2018年には、ユース世界選手権で団体戦、ミックス戦で金メダルを獲得し、世界舞台での競争力を立証した。
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今回の東京五輪ではミックス戦、団体戦で金メダルを獲得。アン・サンと共に2冠を達成するという気炎を吐いた。わずか1年前までは代表選手ではなかったが、今や彼は韓国で最も有名な弓手に成長した。
キム・ジェドクは小学校3年生の時、偶然アーチェリーを始めた。初めは言葉通り、趣味のように考えていた。
キム・ジェドクの父キム・チョルギュさん(46)は本紙『スポーツソウル』との電話インタビューで、「実はジェドクがアーチェリーを始めたときは、単に遊び程度としか考えていなかった。祖父や祖母が高齢でよく遊べないからアーチェリーをしながら遊ぶのもいいと思った。子供が楽しめれば良いという考えだけだった。当時は、こんな選手になるとは想像もしなかった。ジェドクからアーチェリーが好きだと言われたので、“お前がやりたいなら楽しんでやってみろ”と言った」という。
キム・チョルギュさんは、「ジェドクは子供の頃から根性だけは誰にも負けない子だった」と話した。続けて「ジェドクは子供の頃から粘り強さと根性がすごかった。目標は何としても叶える子だった。自分の好きなものは、一晩中寝ずにやる。アーチェリーもダメならできるまでやっていたよ。普通、子供たちは駄目なら諦めるが、ジェドクは違った。年の割にはがめつい子だったが、それは今も同じだ」と述べた。
生まれつきの才能も優れているが、今のキム・ジェドクを作ったのは結局、努力だったという証言だった。
キム・ジェドクは愚直で信頼できる息子だった。キム・チョルギュさんは持病のため体が良くないが、幼い息子は祖父や祖母の世話を引き受けながら、黙々と自分の仕事をやり遂げた。まだワガママもいいたい年齢にもかかわらず、キム・ジェドクは大人びて育った。
キム・チョルギュさんは「私にとってジェドクは一人だけの貴重な息子」とし、「私もそうだが、ジェドクも慶尚道スタイルだ。普段は無愛想で、口数は一言ずつで多くは語らない。日本へ行くときも頑張ってくるとだけ言って向かった。特別なことは言っていない。それでも、いつも父親の心配を気遣っている。父親として心の中では申し訳なく、ありがたい息子」と語った。
粘り強く努力したキム・ジェドクは、オリンピックが1年延期された隙を狙って韓国代表になった。それに止まらず、オリンピックで金メダルまで獲得した。ミックス戦に続き、団体戦まで優勝し、2つの金メダルを首にかけた。父親としては信じがたい奇跡のようなものだ。
キム・チョルギュさんは「ジェドクがオリンピックにこんなに早くいくとは思わなかった。いつか行くのではないかと思ったが、思いも寄らなかった。ジェドクがよくやったのもあるだろうが、それより良いコーチに出会えたおかげだと思う。コーチの先生がそばで私の分まで面倒を見てくれた。ジェドクは肩の痛みがひどかったが、治療を手伝ってくれた人もいる。彼らがいなかったら不可能だっただろう。おかげでオリンピックに行く時期を繰り上げたようだ」とし、母や姉のように世話をしてくれたファン・ヒョジン慶北一高コーチと治療をサポートしてくれた大邱(テグ)ウトゥム病院のイ・ソンマン院長に感謝の意を伝えた。
続いて「ミックス戦にも出られるとはまったく期待していなかった。団体戦でさえうまくやればいいという考えだった。日本へ行くときも、練習した分だけ最善を尽くすようにと言われた。あまり欲張らないので後悔なく健康にと言った」とし、「最近息子のことを心配してほとんど眠れなかった。オリンピックという大会に誰でも出場できるはずがない。息子がそんな大きな大会に出場することになり、私もとても緊張する。試合も緊張しながら苦労して見ていた。良い結果が出て、本当に嬉しい。息子を誇りに思う」と笑った。
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