「朝鮮王朝三大悪女」と呼ばれるのは、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)である。
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しかし、彼女たちは巨悪ではなかった。自分の私利私欲に走っただけだ。
それでは、本当の悪女は誰なのか。
たとえば、文定(ムンジョン)王后は我が子を王にするために多くの人の命を奪っているし、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純(チョンスン)王后は後にキリスト教を弾圧して悲惨な大虐殺事件を起こしている。
政治を私物化して多くの人を不幸にしたという意味では、長い朝鮮王朝の歴史における真の悪女は、文定王后と貞純王后の2人である。
特に、自分が産んだ息子を王にするために継子の12代王・仁宗(インジョン)を毒殺した文定王后の罪は大きい。
彼女こそが、朝鮮王朝で一番の悪女に違いない。
この文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった。
文定王后は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産んだ仁宗(インジョン)の暗殺を狙った。
この仁宗が1545年に亡くなったとき、人々は号泣し、まるで自分の父母を失ったかのように悲しんだ。
これほど民から慕われていた王なのに、文定王后は仁宗の葬儀を冷遇した。
「王位に1年も就いていなかったので、慣例を踏襲しなくてもいい」
葬儀は簡略化され、服喪期間は短くなり、陵墓も格下げとなった。文定王后は仁宗の名誉を著しく傷つけたのだ。
野史(民間に伝承される歴史書)には、文定王后の悪行を記したものもある。それによると、仁宗の死因は毒殺で文定王后が渡した餅に毒が盛ってあったという。
結局、仁宗の次に慶源大君が即位して13代王・明宗(ミョンジョン)になった。彼はまだ11歳と幼かったので、政治の実権はすべて文定王后が握った。
彼女は政権の要職を身内で固めて、王朝そのものを強欲に牛耳った。
16世紀なかばの朝鮮半島は、凶作が多くて人々の生活は困窮した。それにもかかわらず、文定王后は有効な対策を立てず、民を見捨てた。
まさに、文定王后は悪女の中の悪女であった。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)
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