スピードスケート韓国代表の男子エース、ファン・デホンの金メダル獲得は、不確定要素がなければ、あらかじめ予見されていたことだ。
しかし、ファン・デホンのメダル獲得の裏側には、左手を負傷したにもかかわらず、最後までベストを尽くしたパク・ジャンヒョクの存在も欠かせなかった。
準決勝で中国代表の挑発に応じなかっただけでなく、むしろ脱落させたという点もパク・ジャンヒョクの価値を高め、まるで「五輪精神とはこういうもの」ということを見せてくれた活躍と言える。
パク・ジャンヒョクは、去る2月7日に行われたショートトラック男子1000m準々決勝で左手を負傷。11針も縫ったため、1500mへの出場は不透明だったが強行出場していた。
「予選の時はリンクを左手でつく時に力が入らなかった。気をつけて滑らなければいけないので不便だった」と話していた。
手を後ろに組んだフォームで準決勝進出を果たし、2位で決勝進出を果たした。特に、準決勝では2周を残した状況でインコースを狙い、中国代表の任子威を抜いて2位につけた。
このレース終了後、任子威は、2002年ソルトレイクシティ冬季五輪でアメリカ代表のアントン・オーノが韓国代表キム・ドンソンを相手に見せた、両手を挙げて無言のデモを行ったのだが、それはまるで「もう一度偏った判定をしてほしい」とも取れるジェスチャーだった。
しかし、1000mでもダーティープレーでひんしゅくを買った任子威の挑発は通じず、むしろ審判はランツウェイが他の選手を腕で塞いだと指摘し、失格判定を下した。
これについてパク・ジャンヒョクは、「僕はきれいに入ったと思った。今回も私がペナルティーを受けていたなら、装備を投げ捨てたはず」と語ったほどだ。
そして10人もの選手が出場した決勝で、パク・ジャンヒョクは7位でゴールイン。惜しくもメダル獲得はならなかったものの、彼の口から言い訳は出なかった。
「準決勝、決勝は左手の心配なく、夢中で滑った。不便で痛みはあるが、負傷で見せられるものを何も見せられなかった」とし、結果をすっきりと受け入れていた。
むしろ、「10人が一度に競争したのは初めてで、状況に対処できなかったみたいだ。良いコンディションで(韓国国民の声援に)応えることができず、申し訳ない」と頭を下げた。
ファン・デホンが金メダルを獲得した時、真っ先に駆けつけて「お疲れ様、おめでとう」と言ったパク・ジャンヒョクは、「生まれて初めて大きな応援と支持を受けたようだ。多くの方が心配して応援してくださっただけに、残りの試合でも選手たちに最善を尽くして良いニュースを届けたい」と国民に感謝の意を表した。
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