長かった31年、無念の“あと2ゴール”の大台達成はソン・フンミンの脚で蹴り込まれた

“2ゴール”足りなかったチャ・ボムグンの悲願を成就させるまでに31年、日数として数えると1万1433日がかかったようだ。それに終止符を打ったのはチャ・ボムグンの“真の後継者”と呼ばれているワールドスター、ソン・フンミン(28・トッテナム)である。

【注目】得点量産中のソン・フンミン、キャリア“最短”に期待

“記録の男”ソン・フンミンが、ヨーロッパで活躍するアジア人選手の新たな歴史を塗り替えた。

ソン・フンミンは10月5日(日本時間)、イングランド・プレミアリーグ(EPL)第4節マンチェスター・ユナイテッドとのアウェー戦に左ウイングで先発出場。前半だけで2ゴール1アシストのワンマンショーを繰り広げ、チームを6-1の大勝に導いた。

これでソン・フンミンは今季、公式戦わずか6試合(プレミアリーグ 4試合・ヨーロッパリーグ2試合)ながら、すでに7ゴール3アシストと合わせて二桁を記録している。

ヨーロッパでのキャリアを11シーズン過ごしてきた彼は、この日の2ゴールでアジア人選手として初となる“欧州主要リーグ戦通算100ゴール”を達成した。

これまでは、1978~1989年当時最高のリーグだったドイツ・ブンデスリーガで“褐色爆撃機“の異名で名を轟かせた、チャ・ボムグン(前水原三星ブルーウィングス監督)が打ち立てた通算98ゴールが欧州主要リーグにおけるアジア人通算最多ゴールだった。

1980年代にドイツ・ブンデスリーガで活躍したチャ・ボムグン(中央)

18歳だった2010年にドイツ・ブンデスリーガのハンブルクでプロとしてデビューしたソン・フンミンは、レバークーゼンを経て5シーズンのブンデスリーガで通算135試合41ゴールを記録。そして2015年夏にトッテナムに加入した後、昨シーズンまでプレミアリーグで53ゴール、ヨーロッパの大会で通算94ゴールを記録した。

そして去る9月20日のサウサンプトントン戦で4ゴールを固め打ちし、チャ・ボムグンの持つ通算最多得点タイ記録に並び、マンU戦でメモリアルな100ゴール目を達成した。

ケガに泣いた“褐色爆撃機“

“欧州主要リーグ100ゴール”は、チャ・ボムグンも届かなかった大記録だ。チャ・ボムグンはレバークーゼン時代、欧州主要リーグでの最終シーズンとなった1988-1989シーズン開幕を前に、通算279試合95ゴールを記録していた。

新シーズンを控え、当時『スポーツソウル』とのインタビューで「ブンデスリーガ100ゴールを達成する」と、ヨーロッパでの最後の目標を明らかにしたことがある。それまでにUEFAカップで2度の優勝を経験するなど、鮮烈な活躍を見せていた彼への餞(はなむけ)として、ふさわしいものになるだろうと思われていた。

しかし、彼の夢は度重なるケガによって遮られることとなった。

1989年代、レバークーゼン時代のチャ・ボムグン

ラストシーズンのリーグ前半で2ゴール(通算96、97ゴール)を決めた彼は、1989年1月のリーグ休息期に行われた親善試合で肋骨を痛め、戦列から離脱することとなった。

厳しいフィジカルコンディションのままチームに復帰し、同年3月のボルシア・ドルトムント戦で通算98ゴールを決め、100ゴールは目前だったが、続くハンブルク戦で相手の厳しいマークに苦しみすねを負傷して再び戦列を離れることとなった。

その後も11試合ノーゴールだった彼は、6月17日のカイザースラウテルンとのブンデスリーガラストマッチでもゴールを決められず、通算308試合98ゴールでシーズンを終えることなった。

チャ・ボムグンは、選手引退後も「ヨーロッパでは100ゴールに2ゴール足りなかった。“2%の悔い”だ」と語る。

しかし時代を問わずヨーロッパのリーグで10年以上プレーすること自体が容易ではなく、彼のブンデスリーガにおける外国人選手歴代最多得点記録は、1998年まで長い間破られることはなかった。98ゴールすべてが流れの中でのゴールという点も、彼のFWとしての価値をさらに高めただろう。

日々激しい生存競争が繰り広げられているヨーロッパでは、アジア人選手がチャ・ボムグンの記録を越えることは難しいと思われていた。

もう一人の“レジェンド”

しかしチャ・ボムグンの引退から31年後、最も大切な後輩であり、後継者であるソン・フンミンが通算100ゴールの大台を達成し、残りの“2%”を埋めることとなった。

ソン・フンミン(左)とチャ・ボムグン

また、そのメモリアルゴールを決めた相手がマンチェスター・ユナイテッドという事実が、ソン・フンミンにとっては喜ばしい限りだろう。

マンチェスター・ユナイテッドはソン・フンミンが幼い頃、大きな憧れを抱いたチームである。

もう一人のレジェンドであるパク・チソンが2005~2012年の間、マンUの赤いユニホームを着てプレーしていた時代、彼は夜更かししてテレビ中継を観ていたという。将来はパク・チソンのようにプレミアの舞台で活躍することを目標に汗を流してきた。

念願の欧州の舞台に降り立ったソン・フンミンだったが、ブンデスリーガ時代のチャンピオンズリーグを含め、マンUとの対戦となると驚くほど活躍ができなかった。アーセナル、チェルシーといったビッグクラブ相手には躍動してきたが、マンU戦では通算11試合ノーゴールだった。

これまで暗く長いトンネルを彷徨っていたソン・フンミンだったが、ユナイテッドの魂ともいわれている“オールド・トラフォード”で2ゴールを決め、通算100ゴールという偉大なる記録を達成した。

チャ・ボムグン、パク・チソンという2人の偉大なレジェンドを超え、“ソン・フンミン神話”がオールド・トラフォードを皮切りに紡がれていくだろう。

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