スピードに優れ裏抜けに長けたU-24メキシコ代表に生半可に立ち向かい、大きすぎる打撃を受けた。とはいえ、ただの“戦術負け”に帰結することはできない。
【写真】サッカー韓国代表選手の無礼な“握手拒否”を相手国メディアも批判「無視する行動」
はじめからギクシャクしていたU-24韓国代表は、本大会前に首を傾げさせた最終リストの構成過程から足を引っ張られた。
キム・ハクボム監督率いる韓国は去る7月31日、横浜国際総合競技場で行われた東京五輪・男子サッカー準々決勝のメキシコ戦で、前後半で3ゴールずつ許す3-6の惨敗を喫した。
韓国がオリンピックでメキシコに敗れたのは今回が初めてだ。これまでオリンピックで5試合戦い、3勝2分と一度も負けたことがなかったが、東京五輪で初の敗北を許した。
この日、韓国は背番号10のMFイ・ドンギョン(23、蔚山現代)が2ゴールを決めるなど奮闘したが、守備陣がメキシコの攻撃陣との1対1や競り合い、背後への裏抜けに対応できず、自滅する形となった。
“招集不可”を覚悟したDFキム・ミンジェ(24、北京国安)のオーバーエイジ選出は悪手となり、本大会の失敗につながった。
守備の安定はメジャー大会成功の先決条件だ。特に、欧米や南米選手と比べて個人戦術で劣るアジア勢が国際大会で結果を残すには、守備組織の完成度を引き上げなければならない。韓国はこの部分で落第点に近かった。
キム監督は当初、守備を最大の“アキレス腱”と指摘していたが、オーバーエイジにはFWファン・ウィジョ(28、ボルドー)、FWクォン・チャンフン(27、水原三星ブルーウィングス)と攻撃陣だけで2人選出。残り1枚を守備陣に使ったわけだが、そこに所属チームから東京五輪出場の許諾を得ていないキム・ミンジェを、「ひとまず最終リストに含めよう」と選抜した。
国際サッカー連盟(FIFA)の主管大会ではないオリンピックは、所属チームに選手を派遣しなければならない義務はない。
このため、キム・ミンジェが所属する北京国安は早々に代表派遣を拒否した。さらには、キム・ミンジェの欧州移籍を進める過程で北京国安は高額の移籍金を得なければならなかったため、負傷のリスクがあるオリンピックへの派遣をなおさら拒絶した。
キム監督はこの問題を早期に解決することができなかった。そして、東京への出発が迫った段階で、キム・ミンジェの代わりにDFパク・ジス(27、金泉尚武)を招集する決断を下した。
結局、韓国の守備は最後まで上手く行かなかった。キム監督は初戦のU-24ニュージーランド代表戦、合流が遅れたパク・ジスを先発から外した結果、0-1で敗れてしまった。その後、U-24ルーマニア代表戦、U-24ホンジュラス代表戦でパク・ジスが先発出場し、いずれも無失点で終えたが、決勝トーナメント初戦のメキシコ戦で限界を見せた。
テクニックに優れるメキシコの選手の突破を防ぐには、対人守備はもちろんのこと、守備陣の組織的な動きが必要不可欠だ。
しかし、メキシコ戦ではDFソル・ヨンウ(22、蔚山現代)、DFカン・ユンソン(24、済州ユナイテッド)の両サイドバックが相手ウィングとの1対1で後れを取った。
パク・ジスとDFチョン・テウク(24、大邱FC)がコンビを組んだセンターバックも、2得点のFWエンリ・マルティン(28)、1得点のMFルイス・ロモ(26)のスペースへの侵入を組織的に阻止できなかった。
韓国は本大会前の最終招集練習を、去る7月1日から東京行の飛行機に乗る17日までの約2週間実施した。同期間は、2012年ロンドン五輪(4週間)や2016年リオ五輪(6週間)と比べると非常に短かった。
ファン・ウィジョやクォン・チャンフンなど、重要な役割を果たすべきオーバーエイジの選手たちは既存のメンバーと連携を合わせたことがなかったが、本大会に備えた期間が十分でなかったという見方が多数だ。
しかも、キム監督は国内で行った2度の強化試合でも、「戦力露出を最小限に抑える」という理由でベストメンバーの起用をためらった。
U-24韓国代表のチーム事情に詳しいとある関係者は、「今回のオリンピックで組織的なサッカーをしている日本でも、6月中旬の時点でオーバーエイジが確定し、完全体で練習を行った。一方、キム監督は同期間にもメンバーの構想がある程度終わったと思うが、1次から2次に分けて競争を続けさせた」とし、「あまりに悩んだようだ。その過程で選手も(最終リストから外されるのではないかと)多くのストレスを受けたと聞いている」と述べた。
これらに加えて、キム監督が左利きの3選手(イ・ドンギョン、クォン・チャンフン、イ・ガンイン)を前面に押し出して“秘密兵器”と考えていたセットプレーも、まったく効果を発揮しなかった。
メキシコ戦でも、2-6とリードされた後半ロスタイムにコーナーキックからファン・ウィジョが決めたヘディングゴールがすべてだった。
結局のところ、U-24韓国代表は準備段階から付けられた“疑問符”を拭うことができないまま大会を終えることになった。
前へ
次へ