過去は過去にすぎない。元U-17韓国代表FWチャン・ギョルヒ(23、平沢シチズン)は“現在”に忠実だ。
FWイ・スンウ(23、ポルティモネンセ)、MFペク・スンホ(24、全北現代)とともにバルセロナ下部組織出身の韓国人トリオの1人と呼ばれたチャン・ギョルヒも、もう立派な20代になった。
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今もなお“バルセロナ出身”というレッテルが貼られているが、チャン・ギョルヒは落ち着いて跳躍を準備している。
彼は無所属だった約1年間のブランクを破り、今年2月にK3リーグ(3部)の平沢(ピョンテク)シチズンに加入した。「入団後に体重が6キロ落ちた。辛いわけではない。走りすぎたことで自然に落ちたようだ」と笑みを浮かべる。
チャン・ギョルヒは2011年から2017年までの7年間、バルセロナの下部組織に所属した。
ただ、順調な道のりではなかった。というのも、バルセロナが「18歳以下の海外移籍禁止」条項を破ったからだ。これを受けて国際サッカー連盟(FIFA)は所属選手の活動禁止処分を下し、チャン・ギョルヒもこれを避けられなかった。
結局、3年間のブランクを克服できなかったチャン・ギョルヒは、2017年にバルセロナとの再契約に失敗し、ギリシャに新天地を求めた。
チャン・ギョルヒは「重要な時期に実戦に出られなかった残念な気持ちはある。それでも後悔はない。良い経験をした。“バルセロナ出身”という自負がある」としつつも、「すべて過去のことだ。今いる場所で頑張らなければならない」と強調した。
ギリシャで在籍したアステラス・トリポリスFCで思うような活躍ができなかったチャン・ギョルヒは、2018年9月の浦項(ポハン)スティーラース移籍で母国に復帰した。しかし、ここでもトップデビューの機会は訪れず、2020年1月に契約満了で自由の身となった。だが、彼の獲得を望むクラブは現れなかった。
結局、チャン・ギョルヒはこの1年間、所属先のないまま個人トレーニングで身体を鍛えた。その当時については「自分が安易に考えていた部分があった」とし、「昨年は所属チームがなくて大変だった。それでも休まずに練習した」と説明した。
キャリア存続の危機にあったチャン・ギョルヒだったが、そこで手を差し伸べてくれたのが平沢シチズンだった。
選択に躊躇はなかった。彼は「迷うことはなかった。プレーをすることが優先だと思った。まだ自分の姿を見せられていないし、サッカーという夢を逃すには物足りなさが残る」とし、「(自分に)与えられた時間は残り少ないと思う。一段ずつ上ってより上の舞台に行けるようにしたい」と気丈に語った。
チャン・ギョルヒの現在のコンディションは70%程度だ。彼は先月6日に行われたFAカップ1回戦のフェニックスFC(5部)戦で、ペナルティキックで決勝点となるゴールを決めた。
「実戦で最後にゴールを決めたのがいつなのか思い出せない」というチャン・ギョルヒは、「とても良かった。公式戦でのゴールは本当に久しぶりだった」と笑顔で明かした。
続けて、「今シーズンはリーグ戦で10ゴール決めたいが…」とし、「簡単ではなさそうだが、10ゴールを決められるよう努力したい」と目を輝かせた。
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