韓国サッカーが挑んだ歴代アジアカップ、“屈辱の歴史”と珍記録

アジアサッカーの最強を決める、アジアカップ開催が近づいてきた。1960年の優勝以来、59年も無冠に終わっている韓国としては、屈辱を味わってきた大会でもある。今年こそと優勝を目論む韓国のアジアカップの歴史を紹介しよう。

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◇1988年、カタール大会:痛恨の決勝PK戦敗北

韓国は1986年のメキシコW杯出場以来、アジアの舞台では自信にあふれていた。イ・フェテク監督率いる韓国代表は、キム・ジュソンを筆頭にイ・テホ、チョン・ヨンファン、パク・キョンフン、チェ・ガンヒらが選手としてのピークを迎えた。大学生の新星、ファン・ソンホンも力を加えた。

日本、イラン、中国を順に撃破し、決勝の相手はサウジアラビア。しかしアジアカップ初となる決勝PK戦の末3-4で敗れ、優勝を目の前で逃してしまった。それでもキム・ジュソンが大会MVPに、イ・テホは得点王となった。

◇1992年、日本大会:大学、実業選抜で挑むも予選脱落

予選の相手はタイとバングラデシュ。韓国サッカー協会は、プロ選手を代表チームに招集すると、韓国国内で広がりつつあったプロサッカーブームが冷めるという名分で、大学生や実業団の選抜チームで挑んだ。1988年のカタール大会でも、予選は大学・実業選抜で軽く通過した経験があったからだ。

しかし目論見が甘すぎた。ホームのタイに敗れ、本戦のチケットを逃してしまった。数カ月後に日本がアジアカップ初優勝を果たしたというニュースが伝わると、ファンは悔しさを禁じえなかった。

◇1996年、UAE大会:衝撃のイラン戦2-6の大敗

未だに多くの韓国サッカーファンが忘れられない、悪夢の大会だ。1992年の教訓を生かして、韓国は予選からベストメンバーでアジアカップに臨んだ。しかし初戦から、リズムが狂い始めた。UAEと引き分け、クウェートに敗れ、なんとかグループ3位のワイルドカードでベスト8に進出した。

イランとの準々決勝でも前半は2-1でリードしたが、後半はイランのゴールゲッター、アリ・ダエイに4ゴールを許してしまう。結局2-6で大敗した。このときの6失点は、韓国がアジアのチームに許した歴代最多失点だった。非難のなかで、パク・ジョンファン監督が解任された。

◇2000年、レバノン大会:イランにはリベンジしたが…

シドニー五輪で8強進出に失敗したホ・ジョンム監督は、アジアカップで名誉を挽回しようとした。イランとの準々決勝では試合終了直前にキム・サンシクが同点ゴールをあげ、延長戦ではイ・ドングッがゴールデンゴールを決めた。大敗を喫した4年前の雪辱を見事に果たした。

(写真提供=韓国サッカー協会)宿敵イランを相手にゴールデンゴールを決めたイ・ドングッ

しかし喜びは長く続かず、準決勝でサウジアラビアに1-2で敗れた。6ゴールのイ・ドングッが得点王になったことが、せめてもの慰めだった。日本が優勝し、2002年のワールドカップ共同開催を控えた時期であったため、韓国は大きな危機感に包まれた。

◇2004年、中国大会:乱打戦の末にひざまずく

日韓W杯ベスト4、2003年の東アジアカップ優勝国となった韓国としては、今度こそ優勝と意気込んでいた。パク・チソン、イ・ヨンピョのデュオに加え、攻撃陣にはアン・ジョンファン、イ・ドングッがいた。

UAEとクウェートを下して順当に優勝を目指した韓国を足止めしたのは、またしてもイランだった。準々決勝で再び対戦した両チームは、乱打戦を繰り広げた。しかし韓国はアリ・カリミにハットトリックを許し、3-4で敗れてしまった。

◇2007年、東南アジア4カ国大会:3試合連続スコアレスドローの珍記録

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