朝鮮王朝を震撼させた「米びつ餓死事件」が起きた瞬間とは?

それは、1762年5月22日のことだった。思悼世子(サドセジャ)に仕えていた官僚の羅景彦(ナ・ギョンオン)が「世子が謀反をたくらんでいます」と告発してきたのだ。王宮の中が大騒ぎとなった。

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英祖(ヨンジョ)は息子の思悼世子に向かって怒鳴った。

「お前は本当に、側室を殺したり、宮中を抜け出して遊び歩いたりしているのか」

思悼世子は申し開きができずに平伏していた。事態は最悪の展開になった。

しばらく後に英祖は思悼世子を再び呼び出した。そのとき、英祖は刀をふりかざして思悼世子を威嚇した。

思悼世子はひたすら謝罪を繰り返した。

「許してください。もう二度といたしません」

しかし、英祖は冷血に王命を発した。

「自決せよ!」

思悼世子の震えが止まらなくなった。高官たちも集まってきて英祖に翻意を促したが、英祖の感情はおさまらなかった。

(写真提供=SHOWBOX)映画『思悼』ではユ・アインが演じた

「たったいま世子を廃した」

宣告された思悼世子は、ただ地面に額をこすりつけて詫びた。

「過ちを改めます。正しく生きます。どうか許してください」

そこまで息子が哀願しているのに、英祖は無情にも米びつを持ってこさせて、その中に思悼世子を閉じ込めてしまった。さらに、英祖は米びつをにらみつけて言った。

「米びつを絶対に開けてはならない」

その米びつからは、思悼世子の嗚咽がもれてきた。王宮の中で、なんと恐ろしいことが起こったことか。哀れな思悼世子は食料も水も与えられないままだった。

8日目にようやく米びつをあけてみたら、すでに思悼世子は絶命していた。

(文=康 熙奉/カン・ヒボン)

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