それは単純に、宮女たちが忙しかったからだ。ときに民衆や官僚の反発を受けてまで王が宮女を集めたのは、愛人を作るためではなく、仕事が多いためだったと言われている。
さらに500人以上いたとされる宮女の中で、特定の宮女が王に愛されていることが知れ渡ると、その宮女がこつ然と宮廷から姿を消すということもあったらしい。王の母や王妃、側室などが排除を指示したと推測される。『オクニョ』もそうだった。
まさに日本の“大奥”さながらだが、側室になれるのは一握りの幸運に恵まれた女性だけということがわかる。
では、側室以上の存在だった王妃になるためには、どうすればよかったのだろうか。
結論から先にいえば、王といえども婚姻関係を結べるのは1人だけだったため、側室以上に厳しい道のりだった。
朝鮮王朝時代、最も多いパターンは、王がまだ世子(セジャ/王位継承者)だった頃に結婚するというもの。そうすれば世子が即位したときに、自動的にその妻も王妃に昇格できる。
また側室から王妃へと昇格したケースもある。側室が昇格するためには、世継ぎを産むことが絶対条件だ。
朝鮮王朝3大悪女の1人で、絶世の美女とされた張禧嬪(チャン・ヒビン)がそれを実現させた人物だ。張禧嬪は第19代王・粛宗(スクチョン)の側室となり、その子(のちの第20代王・景宗)を産んだことで王妃に昇格している。
ただ朝鮮王朝時代には計36人の王妃がいるが、側室から王妃へと昇格した人物はわずか4人しかいない。ほとんど世子と婚姻関係を結ぶしか方法がなかったといえるかもしれない。
ドラマ『不滅の恋人』のチャヒョンは、そんな奇跡に近い偉業ともいえる王妃の座を断り、イ・フィの妻になることを選んだ。この決断がどれほどのことかは、史実を知ってこそ味わえる部分ではないだろうか。
(文=慎 武宏)