「なぜ、あんなに元気だった妹が突然死んだのか。もしや……」
疑念はどんどんふくらみ、やがて1人の女性に行き当たった。
「中殿(孝懿王后)の指図によって毒殺されたのでは……」
一度そう思うと、その疑念は強迫観念となって洪国栄の心を苦しめた。次第に洪国栄は逆恨みをして、孝懿王后が妹を殺害した黒幕だと決めつけるようになった。
「仇(かたき)をとる。同じように毒殺してやる」
思い詰めた洪国栄は孝懿王后の食事に毒を盛ろうとした。すでに彼は有能な重臣の面影もなかった。結局、王妃殺害計画が発覚して窮地に陥った。正祖は改革の担い手として洪国栄に大きな期待を寄せていたのだが、おぞましい計画が露見するに至って、完全にこの男を見限った。
とはいえ、死罪にするのは忍びなかった。
すっかり人格が変わってしまったが、かつては功績の多い側近であった……そのことを考慮して、正祖は洪国栄を地方に追放するだけにとどめた。それは1780年2月のことだった。
普通に考えれば、孝懿王后が側室の暗殺をはかるわけがなかった。なにしろ、彼女は謙虚でとても温厚な性格で知られていたのだ。誰からも尊敬される人徳を備えていた。
また、正祖の祖母となる貞純王后や母である恵慶宮(ヘギョングン)に心から礼を尽くした女性だった。
まさに、朝鮮王朝の王妃の中で一番の聖女であった。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)