そして解散後、再結成の準備中をしていたキム・ヒョクゴンは2013年11月、交通事故で“手足麻痺”になってしまう。「青天の霹靂だった。信号違反車両と正面衝突して首が折れ、出血が一つもないのに息ができなくて死ぬかと思った」とし、「医師も死ぬことができるなんて家族と知人が気を失った」と話す。
そして、「集中治療室で目を覚ましたが、いつぶりに目が覚めたのか分からず、何も動けない状況。大変だと思った、誰も状態について話してくれなかった」とし、「動けないことを知り、首の下が動かない四肢麻痺になった。ベッドで左右に転がることもできず、手で顔を掻いたり、ご飯を食べたりすることもできなかった」と当時の苦痛を慎重に語りだした。
また「夢があるとするならば、手を動かしてご飯を食べてシャワーもし、トイレでも自分の思い通りにできたらいい」とし、「車椅子に乗らなければならない障害者ぐらいになっても、生きそうな気がした」と淡々と伝えた。
「2年ほど床ずれのため、頭、お尻、足が腐り続けていた。腐った皮膚を掻く時、苦痛だった。頭には感覚があって痛かった」とし、2年間にわたって暗鬱な時間を過ごしたという。それとともに、「床ずれが治っても生活は良くならず、便の処理をずっと浣腸していたので一般的ではなかった」と付け加えた。
そのように病院の世話にならなければならなかったキム・ヒョクゴンは、「療養病院の駐車場で、おじいさんたちが声が小さくなると大声を出していたが、お父さんがお腹に力を入れて声を大きく出せと言ってお腹を押すと高音が出た」とし、「ある程度、3オクターブシャープまで出てきて、簡単に出せない音、体は壊れてもお腹を押すと高音が出た」として、もしかしたら歌えるのではないかと小さな希望を抱いたと語る。
キム・ヒョクゴンは、「映像を撮って所属事務所社長とThe Crossメンバーに送ってみると、歌が下手だとしても社長が一文字ずつ録音しようと言っていたよ。本当に一文字ずつ録音し、社長とメンバーがおぶって地下の録音室を行ったり来たりした」とし、その時に録音した曲が『航海』という曲だったことを思い出した。
だが「腹式呼吸で発声しなければならないが、一般人の肺活量の1/4、高音と大声を出せなかった。お腹を押して横隔膜を強制的に上げて、息を強く吐き出せる装置で高音を出した」としつつも、「ところが、けいれんが起きてお腹に尿道カテーテルを付けていて、出血も生じた。歌を続けると身体に異常が少しあった」と苦痛の中でも歌をあきらめなかったという。
その理由についてキム・ヒョクゴンは、「歌を続けることで人生のやりがいを探し、一人で乗り越えたのではなく、すべての人の助けと力で再び歌えるようになった」とし、「録音して諦めたい瞬間が毎日のように訪れ、パニック障害で体も痛いが、ずっと歌を歌う理由は、歌を歌ってこそ私が生きていることを感じるため」とし、最善を尽くして諦めず、熱心に歌うと約束した。
最後に、「痛くて大変な方々が挑戦と希望を抱けるようになることを願いながら歌い続けること、皆あきらめずに頑張ってほしい」として希望を伝えた。
■【画像】結婚式中に“新婦の不倫映像”!犯人は新郎!? 相手は義兄!