2002年日韓W杯で4強神話を達成した韓国代表率いるフース・ヒディンク監督の下、韓国人首席コーチを務めたパク監督はその功労が認められ、同年に行われた釜山アジア大会でU-23韓国代表の監督に抜擢された。しかし同大会は銅メダルに終わり、就任からたった3カ月で代表監督の座を追われた。
その後はKリーグで慶南FCや全南ドラゴンズ、尚州尚武FCを渡り歩き、尚州退団後は実業団リーグの昌原市庁で指導者生活の晩年を送っていた。今の姿からはとても想像つかないが、当時の彼は指導者として下り坂のキャリアを歩んでいたのだ。
しかし、2年前に初めてベトナムの地を踏んだパク監督は、韓国内とは180度正反対の成功を成し遂げた。韓国とはまったく違った環境だったからこそ、彼の真価が発揮できたのだ。
過去にパク監督は「ベトナムへ来ると周辺に何もなく、サッカーだけに集中することができた」と理由を明かしていた。
彼の側近は「韓国内ではあらゆるノイズが彼の周りにあり、サッカーだけに集中できる環境ではなかった。心の病気を患うこともあった」と、パク監督の韓国時代の苦難を明かした。
しかし、「ベトナムでは周囲の雑音もなく言葉も通じないため、サッカーだけに専念できる環境だった。心が落ち着いてからは、選手指導により集中できるようになった」と、彼の変化を語った。
韓国には指導者を締め付ける要因が、あまりに多いといっていいだろう。実際に韓国内の指導者を見ても、監督という職業がいかに不遇かがわかる。
とある指導者は「成績に対するストレスのため、まともに夜も寝つけなかった。試合前日ともなれば、心身を休める暇もない」と、ひどい圧迫感を吐露した。
指導者を締め付ける要素にはさまざまなものがあるが、最終的には周囲から聞こえる雑音が指導者の心を揺さぶるといっていいだろう。
パク監督がベトナムで“ミスのないリーダーシップ”を発揮できたのは、平穏な環境で選手指導に臨めたことが、大きな理由として挙げられるだろう。