「いつも心の中に恋しさがあった」38歳チュ・シンスが韓国プロ野球入りを決断したワケ

周囲からの疑念を自ら打ち消した。米メジャーリーグ(MLB)でキャリアを終え、引退後もアメリカで生活するのが大方の予想だったが、彼は韓国行きを選んだ。

「いつか再び韓国で野球する姿を夢見ている」という誓いを実現させたチュ・シンス(38)の話だ。

最も成功した韓国人メジャーリーガーの1人でもあるチュ・シンスは、来る2月25日に韓国の地を踏む。

新世界グループに買収されたSKワイバーンズと去る23日、年俸27億ウォン(日本円=約2億7000万円)の契約を結んだチュ・シンス。

彼は「いつも心の中にあった韓国プロ野球への恋しさを消すことはできなかった」とし、「韓国行きは野球人生の新たな転機になる決定だったし、たくさん悩んだが、新世界グループの方向性と誠意が大きな力になった。行くなら今が適期だと判断した」と述べた。

(写真提供=USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)チュ・シンス

「私の人生の新しいチャプターを…」

これにより、チュ・シンスはMLBでのキャリアに事実上のピリオドを打った。

韓国プロ野球入りに際し、チュ・シンスは自身のインスタグラムに英文で次のように思いを伝えている。

「私は20年前、メジャーリーガーを夢見た幼い少年だった。MLB所属選手として16シーズンを過ごし、その夢を叶えた」

「私は韓国で生まれ、韓国で野球を始めた。いつも私の心の中には韓国で1日でも野球をしたいという希望があった。私の人生の新しいチャプターを韓国で開く時間が来た」

「両親の前で野球ができる機会を与えてくれた球団に感謝したい。世界的な災難にもかかわらず、私を迎え入れてくれた球団にもう一度感謝の気持ちを伝えたい」

「チームが私を信頼できるよう、人々が私の野球を期待できるよう、人々の大きな期待と希望に応えられるよう、私のために犠牲になった家族のため、そして私の30年の野球人生と心を込めて、韓国で全力を尽くしてプレーする」

1982年7月生まれのチュ・シンスは、去る2001年にシアトル・マリナーズと契約後、2005年にメジャーデビュー。クリーブランド・インディアンス在籍時の2008年にはチームの中心選手として活躍し、2009年にはアジア人選手として初めて打率3割、20本塁打20盗塁を達成した。

テキサス・レンジャーズ在籍時の2015年にもアジア人選手として初めてサイクルヒットを記録したチュ・シンスは、“好打俊足”と評価される20本塁打20盗塁を通算3度成功させている。

また、2018年には現役メジャーリーガーとして最多の52試合連続出塁を果たし、自身初のオールスターに選出。ほかにも、アジア人選手最多本塁打(218本)や最多打点(782点)の記録も持つ。

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