2週間も残っていないリーグ開幕に合わせてコンディションを引き上げようとする意志の表現だ。ファン・ウィジョは攻守を行き来しながらたくさん走り、大声で同僚と疎通しようと努力していた。
「練習して試合に出ること自体が幸せだ」と口を開いたファン・ウィジョは、「同僚のキ・ソンヨン先輩とは若い頃から代表生活を共にしており、ナ・サンホは今、代表チームで一緒にプレーしている。頼れる選手がいるので、心情的に楽だ」と笑った。
ヨーロッパに進出したあと、韓国代表の固定ワントップになったファン・ウィジョだが、2022-2023年シーズンは試練の連続だった。
所属したジロンダン・ボルドー(フランス)が2部に降格し、ファン・ウィジョは主要クラブのラブコールを受けたが、移籍交渉の手続きが遅れ、プレシーズンを充実させることができなかった。
イングランド・プレミアリーグのノッティンガム・フォレストへの入団が確定した後、オリンピアコス(ギリシャ)に1シーズンのレンタル移籍となったが、コンディションの乱れで12試合無得点に止まった。
弱り目にたたり目で、オリンピアコスが早期にレンタル契約解約を選択し、ファン・ウィジョは1シーズンで3つのクラブではプレーできない国際サッカー連盟(FIFA)の規定もあって、欧州残留が難しくなった。
欧州とは異なる「春秋制」を施行するリーグでのみプレーできたため、韓国と日本、そしてミネソタとアトランタなどアメリカのMLSクラブが関心を示した。
ファン・ウィジョは「ノッティンガムからオリンピアコスに行く過程も容易ではなかった。遅れてチームに合流して早く何かを見せようとしたが、こじれてしまった。途中で監督も戦術も変わった」とし「ギリシャではヨーロッパリーグもプレーしながら良い経験ができそうだったが、期待とは違った」と話した。
「選手としてもっとプレーしたかったが、(終盤は)それができなくて大変だった。同僚の(ファン・)インボムと一緒にプレーしながら、カタールW杯も良いコンディションで臨みたかったのに…」
復活を誓ったファン・ウィジョの選択は、プロデビューした城南FC(元・城南一和天馬)時代の恩師であるアン・イクス監督が率いているFCソウルだった。ノッティンガムも6ヵ月間のレンタル移籍を許可した。
「正直、米国行きを悩まなかったこともあった。行っていたら、年俸も今よりもっともらってプレーすることができた。しかし、長い契約期間が欲しかった。僕にとって重要なことは、6カ月後にヨーロッパに復帰することだった。(慣れたKリーグの)ソウルで望むサッカー、面白いサッカーがしたかった」
FCソウルには元代表や現役バリバリの代表などよく知る同僚が多く、自分をよく知っている指導者もいる。ただ、サッカーの色は過去とは違う。「窒息守備」で有名なアン監督は、FCソウルでは゜「ポジション破壊」を前面に押し出したビルドアップを追求している。
ファン・ウィジョは語る。
「監督は城南時代、非常にコンパクトに守備で守って、1ゴールを決めて勝つサッカーを目指した。今はボール占有率を高めながら有機的に動き、空間を探すスタイルだ。フランスにいる時もFCソウルがフルバックを中央に絞り込むなど、ポジションに関係なくプレーするのを見たことがある。僕の役割は結局ゴールを決めることだ」
また、アン監督のようにビルドアップを重視するパウロ・ベント監督と昨年まで代表チームで4年間過ごしたこともプラス要因になるだろうと見込んだ。
6か月後には別れがあるのかと尋ねると、ファン・ウィジョは「ソウルマン」としての責任感も強調した。
「Kリーグでプレーした時、FCソウルは常に重みのある選手が多かった。全北現代、蔚山現代など良いチームが多いが、FCソウルも再び優勝争いをしてリーグをリードしていくチームだということを、お見せるために全力を尽くす。 応援してほしい」
(構成=ピッチコミュニケーションズ)
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