キム・ヨンギョン(33)と女子バレー韓国代表がともにした幸せな時間が終わりを告げた。
すでに予告していた通り、“女帝”キム・ヨンギョンが代表から退くことを決めた。
韓国バレーボール協会は8月12日、報道資料を通じて次のように発表した。
「キム・ヨンギョン選手が同日午後2時、ソウル江東(カンドン)区にあるバレーボール協会でオ・ハンナム会長と面談した。(キム・ヨンギョンは)この席で代表引退の意思を明らかにし、オ会長も選手の意思を尊重して引退を受け入れることにした」
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1988年生まれのキム・ヨンギョンは、2004年のアジアユース選手権で初めて太極マークを胸に付けると、高校3年生だった2005年にワールドグランドチャンピオンズカップに出場し、代表デビューを果たした。
その後、先日まで行われた東京五輪まで、3度のオリンピック、4度のアジア大会、3度の世界選手権をはじめ、数多くの国際大会に出場してきた。
東京五輪ではキャプテンとしてチームを率い、“4強神話”を築いた。韓国女子バレーは1976年モントリオール五輪(銅メダル)以来45年ぶりとなるメダル獲得に挑戦したが、4位に終わり悲願達成とはならなかった。
それでも、韓国は最後まで諦めない闘志と情熱を前面に出す戦いぶりで多くの称賛を受けた。キム・ヨンギョンは実力のみならず、後輩や同僚をけん引するリーダーシップも遺憾なく発揮した。
結局、キム・ヨンギョンが韓国代表として最後にプレーした試合は、セルビアとの東京五輪3位決定戦だった。彼女はセルビア戦敗北後、一度は代表引退の意思をほのめかしたが、帰国後に改めて協会と協議を進めた後、正式に代表引退を決定した。
キム・ヨンギョンは「いざ代表選手を辞めるとなると、名残惜しい気持ちがある。これまでの代表選手としての活動は、あまりに意味のある幸せな時間だった」とし、「これまで多くの教えをくださった監督たちとコーチングスタッフ、一緒に活動してきた代表チームの先輩後輩たちが本当にありがたかった。その方たちがいなければ、今日のキム・ヨンギョンはいなかったと思う。代表チームは離れるが、後輩たちが上手くやってくれると信じている。コートの外から一生懸命応援する」と、引退の心境を語った。
オ会長は、「この17年間を代表選手として活躍してきて本当に苦労が多かったはずだ。協会長として、バレーボールの先輩として本当にありがたい」とし、「もう少し活躍してくれたらという惜しさもあるが、これまでの成果が大きいだけでなく、本人の今後の人生計画も重要なので、引退の意思を尊重したい。(キム・ヨンギョンのような)素晴らしい選手と出会えたことも大きな幸せだったと思う」と、キム・ヨンギョンの第二の人生を応援した。
協会はキム・ヨンギョンの公式引退イベントを提案したが、本人の意向を受け入れ、選手としてのすべての生活が終わった時点で引退式を行うことで約束した。
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