韓国Kリーグ2(2部)のソウルイーランドFCが、突然この世を去った金熙虎(キム・ヒホ)に勝利をささげた。
ソウルイーランドは7月10日、アウェーの大田(テジョン)ワールドカップ競技場で行われたKリーグ2第20節の大田ハナシチズン戦で2-0の完勝を収めた。この日はキム・ヒホさんの出棺日だった。
去る5月2日の第9節安山(アンサン)グリナース戦での勝利を最後に、直近10試合連続未勝利(6分4敗)の不振に陥っていたソウルイーランドは、約2カ月ぶりに勝ち点3を獲得した。
試合後、ソウルイーランドの選手たちの目は涙でいっぱいだった。そこには、大田戦の3日前の7日、40歳の若さでこの世を去ったコーチのキム・ヒホさんへの思いがあった。
2010年にサガン鳥栖のコーチに就任したキム・ヒホさんは、2014年12月にクラブ創設を控えていたソウルイーランドのコーチ陣に合流。その後、釜山(プサン)アイパーク、城南(ソンナム)FC、湘南ベルマーレ、そして鳥栖への復帰を経て、2020年1月にソウルイーランドのコーチに再び就任。同年からチームを率いるチョン・ジョンヨン監督を支えてきた。
誠実さや思いやりがあり、外国語にも長けているキム・ヒホさんは、国内出身選手のみならず外国人選手とも柔軟にコミュニケーションを交わし、選手とコーチ陣の架け橋の役割を果たしていた。
今回の大田戦前も、未勝利の不振を断ち切るために誰よりも選手を励ましていたキム・ヒホさん。そんな彼が、5日に行われた前節の安山戦から2日後の7日にこの世を去ったという知らせが伝えられ、クラブは大きな衝撃に陥った。
アウェーで大田と戦ったソウルイーランドは正常な状況ではなかった。チョン監督と選手たちは8日の夕方、キム・ヒホさんの遺体安置所を訪れた。その翌日にチームは大田に向かったが、チョン監督は同行できなかった。
キム・ウンヨン事務局長などクラブ関係者によると、心身ともに疲弊したチョン監督が、出棺に参加した後すぐに大田戦の指揮を執ることは困難だとクラブで判断したという。
そのため、キム事務局長はチョン監督に休息を勧め、大田戦はイン・チャンスコーチが監督代行を務めた。大田戦当日、ベンチでキム・ヒホさんがいつも座っていた席には、キム・ヒホさんの名前と背番号77番が記されたユニホームがかかっていた。
喪章を巻いてキム・ヒホさんを哀悼した選手たちは万全なコンディションではなかったが、涙を飲んでプレーした。その強い闘争心はホームの大田を追い詰め、ソウルイーランドはアルゼンチン人FWニコラス・ベネガス(25)の2得点で勝利を収めることに成功した。
主審が試合終了のホイッスルを鳴らした瞬間、ソウルイーランドのほとんどの選手がピッチに倒れてしまうほど、死力を尽くした一戦だった。
イン・チャンスコーチは試合後、「選手たちにわざわざ話さなくても、(大田戦を)どのように準備すべきかは全員が感じていたはずだ。(試合前には)“キムコーチのために頑張ろう”と伝えた」とし、「空にいるヒホコーチと喜びを分かち合いたい」と目頭を熱くしていた。
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