「モウリーニョ・スタイルの選手を探している」
韓国サッカーがアジアを越え、世界の舞台でも存在感を示しつつある。Kリーガーが多数含まれているにもかかわらず、ドイツを下したロシア・ワールドカップのグループリーグ最終戦最終戦は、韓国プロサッカーに世界における競争力がある程度、立証された一戦でもあった。
そのため、欧州から日本まで、世界各地のスカウトがKリーグの現場を訪れ、良い人材の発掘に力を入れている。その中には世界一の人気クラブであるプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドの韓国・日本担当スカウトもいる。
セレッソ大阪、浦和レッズなどJリーグのビッグクラブを経てマンUで働くことになった田村圭は、韓国Kリーグの1部リーグが4強争いと降格争いで盛り上がった11月24~25日のFCソウル対仁川(インチョン)ユナイテッド戦、浦項(ポハン)スティーラーズ対全北現代戦を直接チェックする強行軍を消化した。
日本のメディアもなかなか会えない彼と、25日に浦項の本拠地である浦項スティールヤードでインタビューすることができた。1軍スカウトの職責を担っているため、田村の目も遠くない未来にマンUで通じる選手が誰なのかを見ているようだった。この日は、2人の韓国選手が潜在的な候補となった。
大学まで選手生活をした田村は、プロの舞台に立つことができず、指導者の勉強のためドイツ留学に発った。大学4年生のとき、交換留学でドイツに初めて足を踏み入れ、ちょうど20年前の1998年に再びドイツへ行き、最高の名門バイエルン・ミュンヘンのU-11、U-12、U-13チームのコーチおよびU-11チームの監督を務めた。
その後、セレッソ大阪U-12チームの監督およびスカウトを歴任した田村は、2009年に浦和に移籍してからスカウトとして有名になった。一時マンUでプレーするなど、本田圭佑とともに日本サッカーを代表した香川真司が彼の作品だ。
仙台にいた高校生の香川の潜在力を、田村と同僚スカウトのひとりが高く評価し、セレッソ大阪に連れてきた。田村は言う。
「そのようにJリーグクラブで働いていると、2006年12月にマンUから連絡がきた。バイエルンで働いた記憶があり、再び海外のクラブと働きたいと思っていたなか、マンUとつながった。
韓国と日本を中心に、アジア選手のデータを作っている。マンUはブラジル担当、南米担当、スカンジナビア担当など各地にスカウトがいる。彼らは1年に1度マンチェスターに集まってミーティングも行う」
今夏、マンUのユニホームを着た19歳のポルトガル人DFジオゴ・ダロトも、そんなグローバル・スカウト・システムを通じて迎え入れられた。
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「2カ月に1度はKリーグの競技場に来る。もちろん、大阪の自宅でKリーグの映像資料を数えきれないほど分析し、検証に検証を重ねる作業も並行している」と話す田村は、“どんな選手を探しているのか”という質問に対して、こう答えた。