朝鮮王朝は一夫一婦制であり、国王もしっかり守っていた。つまり、在位中に王妃は1人だけだった。側室は多くて10人くらいいたのだが……。
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ただし、王妃が亡くなったり離縁されたりすると、国王はすぐに再婚した。よって、国王は27人だが、王妃は42人もいた。
王妃が一番多かった国王は、19代王の粛宗(スクチョン)だ。最初の王妃の仁敬(インギョン)王后は病死、二番目の仁顕(イニョン)王后は廃妃、三番目の張禧嬪(チャン・ヒビン)は側室に降格(後に死罪)、仁顕王后が王妃に復帰したが病死し、粛宗は四番目の王妃として仁元(イヌォン)王后を迎えている。
これだけめまぐるしく王妃が変わっているので、粛宗の時代は韓国時代劇でよく描かれるようになった。いわば、粛宗は時代劇に多くのネタを提供する国王でもあった。
なお、平均寿命をみると、国王が46歳で王妃は48歳だった。ともに50歳に届いていない。
国王の場合は食べすぎと運動不足が死期を早めた。王妃は場合はなぜ平均寿命が短かったのか。
実は、10代や20代の若さで世を去っている王妃が多かった。「国母」と呼ばれて女性のトップに君臨するとはいえ、王位継承問題で大事件が頻発していたので、王妃は相当に精神的な重圧を受けた。それが命を縮めたのか。
一方、王妃は息子が即位すると、その時点で国王の母になるので、大妃(テビ)と呼ばれた(ちなみに、国王の祖母は大王大妃〔テワンデビ〕と言う)。
朝鮮王朝では儒教が国教であり、「孝」が最高の徳目になっていた。王族の最長老となった大妃(あるいは大王大妃)は、最高の礼で遇された。
特に、幼い王が即位したときには大妃の権力が絶大になる。なぜなら、幼い国王に代わって代理で政治を仕切るからだ。そういう時期にかぎって、政治が混乱した。
権力を握った大妃は自分の実家の一族を重用する傾向が強かった。それだけ、政権が腐敗したのである。
(文=康 熙奉/カン・ヒボン)
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